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■■■ 写真が語る 2015.8.4 ■■■


岩合猫の写真展を見ての感想

先日、佐野美術館@三島に岩合光昭写真展「ねこ歩き」を見に行ってきた。

首都圏からそれなりに離れているし、祭日でも、朝一番なら空いていると思いきや、気になるほどではないが、それなりの入り。
岩合感覚の魅力もさることながら、犬猫モノは外れが無いとは昔から言われており、さもありなんというところ。

TV番組は随分と長く続いているが、小生はたまたま視聴したことがある程度でしかない。従って、この番組のファンとはいいがたかろう。
にもかかわらず訪れたのは、お付き役ということもあるが、見かけたポスターの写真の猫君のお顔に惹かれたから。
と言うか、正確に言えば、左下端のよく見えない(C)クレジット記載の前に"にゃんきっちゃん"と書いてあるので驚いたのである。
  同じ写真のチラシ

オー、これは岩合さんの愛猫に違いあるまいと踏んだのだ。そうでなければ、こんな表情は考えられないから。これぞ、まさしく猫である。

図星。

同じ"にゃんきっちゃん"とは思えないような姿もお目にかかることができた。バスタブに浸かりズブ濡なのである。その目と耳が素敵。
白猫は大きな体になる傾向があるが、濡れ猫になると、小さくて可憐な風情が出て実に面白い。

ただ、家内の一押しは、"にゃんきっちゃん"の写真ではない。
天衣無縫で大の字腹出し寝の大宰府在住の猫君。
とはいえ、逸品は、薔薇園の子猫とか。確かに、この写真は光っている。気品が溢れているから。しかも、それを自分で認識していそう。環境が猫を育てたということか。

そうそう、多摩動物公園の雪豹ファンとしては、残念な点も。
猫がライオンと似ているという岩合さんの主張が記載されていたから。
間違えてはこまるが、雪豹ではなく、ライオンが選ばれてガッカリという話ではない。ヒトが飼育している猫族でなく、アフリカ草原のライオンを指していそうだから。
小生はこの手の比較は好かぬ。

猫族の素敵な点は、ケージに囲われている生活に落ち込んでも、そこでの遊びを忘れず、しかも時々はヒトも相手にしてくれるところにある。気が向けば、本気を出せばこんなこともできるんだゾと華麗な運動能力を見せてくれたりもする。コレ、観客を意識している訳ではなく、ナルシズム的に時々演じないと気が休まらないといった感じ。
その姿を見るたび、小生は、多摩動物公園の雪豹も飼い猫であることに気付かされる訳。

要するに、動物園の猫族は、ライオン以外は、飼い猫でもあるということ。
冬の雪豹君のように網をはさんで駆けっこはしてくれなくとも、多摩のアムールトラや上野マヌルネコはガラス越しにハイタッチ的遊びをしてくれたりするのだ。
明らかに、飼育員さんとの交流が出来上がっているのだと思われる。その代わりに観客相手に遊んだりするのだろう。
しかし、上野のライオンはどう見ても観客を邪魔モノとしか見ていない。多摩でも、ヒトとしてでなく、餌附きバスの一部。動物園ライオンの体質は、家猫に一番遠い猫族のように映る訳である。

おそらく、猫族はヒト馴れする動物なのである。犬同様に人に懐くのは間違いないと思う。
そういう観点では、「ねこ」は「人」につく、正真正銘の「家畜」。ただ、「家」につく、といういう見方も間違いではない。マーキング済みの見知ったテリトリーでないと安心できないからだ。
当然ながら、知らぬ臭いしか無い場所に移されるとえらく緊張する。しかし、好奇心があり、甘えることができるヒトがいるなら、どうということもない筈。全員とまではいかぬが。

尚、動物園ネコ族の、小生的評価は以下の通り。・・・
AAA 気が向けばヒトと遊んでくれる。
 ユキヒョウ[多摩]
 マヌルネコ[上野]
AA ヒトをからかう風情あり。
 チーター[多摩]
 アムールトラ[多摩]
A ヒトの存在を意識している。
 スマトラトラ[上野]
 サーバル[多摩]
BB ヒトは煩いので相手にせず。
 インドライオン[上野]
B ヒトの存在を無視。
 アムールヤマネコ/ツシマヤマネコ[井の頭]
CC ヒトは環境の一部でしかない。
 ライオン[多摩]
C わからん。
 ベンガルヤマネコ[上野]

岩合さんも、サラリーマンだったら今年は定年。新たな一歩が欲しいところ。動物園の猫を被写体にしてくれると有り難いが。閉じ込められた姿を撮影するのは気が進まないだろうが、逆に、そんななかで遊びを見つける猫族の気持ちを代弁した写真も素敵では。ヒト族の状況もたいしてかわらぬのだから。

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