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■■■ 絵が語る 2015.11.20 ■■■


鳥獣戯画の見所は龍と蛇

東京国立博物館で展示された「鳥獣人物戯画」は見たかったが、余りの人出で入る気力以前の問題。マ、京博はトンデモ行列だったから、予想通りでガッカリもしないが。
それを今になって思いだした。一寸、残念だったなということで。

少々見ずらいとはいえ、ネットで閲覧できるのだからどうということも無しではあるのだが。
   「全四巻 鳥獣人物戯画 web絵巻」@特別展(C)朝日新聞

ただ、これには、断簡が欠けており、画龍点睛を欠く。別にそのような絵が是非とも必要ということではなく、説明が欲しいというだけ。たったそれだけで、プツンと切れているかのような場面の意味が理解できるようになるからだ。・・・
丙巻後半の、猿・蛙を中心とした戯画の最後はなぜか蛇のまともな写実絵で終わる。素人だと、このままではナンダカネである。
ここは、蛙集団が蛇の登場で散り散りになるとの説明が欲しい。蛇だけは擬人化されないのである。甲巻のラストシーンも多分似たようなものだったのでは。
畏怖の念を忘れて遊び呆ける社会に「蛇」でガツンと一撃な訳である。ここがこの絵巻の肝ではなかろうか。
従って、おそらく、蛇絵には全精力を注ぎこんだ筈。下絵を何枚も書いた結果の作品だと思う。ここだけは実物拝見の価値ありだった。(思うに、蛇の直視を避けるナということでもあろう。もっとも、そう考えるのはこの絵巻物が、寺院に預けられた貴種児童用と仮定しているからだが。実際には、異端のインテリ貴族が気晴らしに遊びにやって来て、絵巻拝観と政治的馬鹿話で一時過ごしていたということだと思うが。)

こう言ってはなんだが、一番面白いのは、当時の珍獣の姿かも。一角獣は犀なのだろうが、靈獣的不思議感が漂うお姿。一方、豹はほとんど猫に近い。獅子は大型犬と言うか、狛犬そのもの。象は随分と貧相だし。すべて、見たことがないからこうなったと言えなくもないが、これこそがこれらの動物の概念と見た方がよかろう。葛飾北斎の珍獣画も同じだが、だからこそ面白いのである。
そう思うのは龍のイメージが、見慣れているタイプとは乖離しているからでもある。・・・豹でもあるまいし、斑をつけるというのはどういうつもりなのダ。そう感じてしまい、よくよく見れば、長い鼻髭が伸びている。ピンと伸びた2本の鼻毛のように見えたりするので、どうも気になる。その上、背中にはトゲトゲを生やしているではないか。
何か、思うところがあったに違いない。
ある意味、これゾ半戯画かも。中華型の龍の像や絵を五万と見尽くしているにもかかわらず、それとは異質な姿で描いているからだ。(羅願曾の「三停」プロポーションも恣意的に避けていそう。)中国モノが言わんとするところを、日本流神像に変換して描くとこんなもんだゼと言わんばかり。

そういえば、何故か、12支のうち羊だけはいませんナ。山羊が掲載されているところを見ると、豚同様に嫌われていたということか。

─・─・─絵巻内容─・─・─
【甲巻】
兎・猿・蛙を中心とした擬人化動物の、若干の季節感を背景とした、戯画(遊戯や儀礼)
登場;兎、猿、牝鹿(無角)、狐、蛙、牡鹿、猪、梟、猫、鼠、鼬
【乙巻】
家畜、珍獣、靈獣の擬似生態図鑑(生木無しの背景)
収録:馬、牛、鷹、犬、鶏、鷲、隼、一角獣(犀?)、麒麟、豹、山羊、虎、獅子、竜、象、獏
【丙巻】
[前半]無背景の僧侶を中心とした人々の遊戯図(闘鶏・闘犬・双六のような賭博性あるものも含む。)
[後半]猿・蛙を中心とした戯画 最後が写実的な蛇
【丁巻】
人々の儀礼や祭礼
場面:曲芸、鞠打、流鏑馬、田楽、法会

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