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2004.5.17
 
 


シンガポール都市計画の先進性…

 「シンガポールの都市再生プラン 〜効率的な環境都市の創造〜 」(2004年3月)(1)というレポートを読んだ。これからの都市計画はこうあるべき、という一つの見本のような気がする。

 ジャングルに囲まれた小さな港町にすぎなかったシンガポールが、世界有数の商業センターと貿易港を持つ近代的ビジネス国家に変わったのは誰でもが知っていると思う。ゴミが無く、人工的に美しく整備されている、といったイメージはあるが、どのようにガーデンシティへと変身を遂げたかまでは、知る人は少ないのではないだろうか。

 このレポートには、この変身の経緯が分かり易く解説されている。

 といっても、ポイントは1つしかない。狭い土地を有効利用せざるを得ないのだから、知恵を働かせるしかない、ということだ。
 そんなことは誰でもわかっている。しかし、なかなか真面目に取り組めないのが普通だ。ところが、シンガポールは着実に進めてきたのである。
 もちろん、独裁政治的な側面があるからできた、と言えないこともないが、コンセプト主導の取り組みが奏効したと見るのが妥当だと思う。
 その点では、良きお手本と言えよう。

 特に、1971年、1981年、2001年と10年おきにコンセプトプランを作り、着実に進めてきた力量には敬服する。モノ真似ではなく、「21世紀の世界一流の都市づくり」を自ら考えて実践してきたから、ここまで到達したのだと思う。
 (このプランを分析したのは、驚いたことに日本の大学である。)

 そんなプランなら、我々の都市にもあるよ、という声が聞こえてきそうだが、おそらく、それは違う。

 このプランが優れている点は、「最新技術、高付加価値産業・サービス、強固なインフラを備えた国際金融センター」の実現が前提になっている点だ。そのために、何をすべきか、という視点で街づくりが進められている。
 エコシティといった、観念的スローガン主導ではない。ビジネスの将来像を基にして、「生活、仕事、遊びに最適の理想都市」を目指しているのだ。正に、リアリズムに基づいた施策と言えよう。
 人は霞を食べて生きることはできない。先ずは、経済的な発展があってこそ、素晴らしい環境が維持できる。この当たり前のことを、実直に追及しているのだ。
 職住接近、眺めの良い高層住宅の提供を進めているのも、高度なスキルを要する職業に就く人達のニースを満たすためである。
 日本でも、同じようなマンションがもてはやされてはいるが、職業を考慮に入れているとは思えない。そもそも考え方が違うのである。
 かつて流行った郊外の大型団地も、今や人気薄だ。都会の高層マンションも、同じ運命を辿らないとはいえないのである。

 シンガポールが立派なのは、「ガーデン・シティ」の名声を確立しても、そこで満足しない点だ。これからは、「シティ・イン・ガーデン」を目指すという。実際、高層ビルの緑化や、街路緑化が着々と進んでいる。
 高度産業化とは、緑が失われるのではなく、緑が溢れることを意味することを、事実で示そうと積極的に動いているのである。

 日本の大都市も高層化が進んでいるが、緑化の観点でみれば、箱庭のような緑がビルに付け足される程度である。それでも、かなりの贅沢といえる。
 なかには、ちっぽけな緑を愛でることで、大満足する都市さえある。

 都市全体のコンセプトなくして、一部を緑化したところで、意味は薄いと言うと、言い過ぎだろうか。

 --- 参照 ---
(1) 日本政策投資銀行シンガポール駐在員事務所のレポート(著者:Teo Besey研究員)だが、相当毛色が違う。
  土地、水、森林など同様に多くの資源制約を有する日本の各地域が、「職・住・遊」の調和を図っていくための参考材料となれば幸いである、と記載されている。
  http://www.dbj.org.sg/PDF/S37j.pdf


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