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■■■ 曼荼羅を知る [2019.2.18] ■■■
十七尊 女尊

金剛界曼荼羅❼理趣会は、主尊 金剛薩を欲・触・愛・慢の四金剛菩薩が囲み、その内院と外院の四隅に都合8女尊。さらに、四門護の17尊からなる。
この会を独立化させた曼荼羅がある。通称、十七尊曼荼羅と呼ばれている。

五仏+十六大菩薩/四波羅蜜に八供養女と四摂との37尊からなる金剛界曼荼羅基本形を金剛薩=大日如来と見なして、全体を簡略化したと見れないでもないが歴史的に最新部分にハイライトを当てたと考えるのが自然。
 金剛薩⇒欲・触・愛・慢
 大日⇒金・宝・法・業…四波羅蜜菩薩
 阿⇒薩・王・愛・喜
 宝生⇒宝・光・幢・笑
 阿弥陀⇒法・利・因・語
 不空成就仏⇒業・語・牙・拳


この独立化曼荼羅の思想をさらに一歩進めたのが、金剛薩を主尊とする《五部曼荼羅》(金剛薩堙十七尊曼荼羅@「理趣経」第十七段)

金剛界五部とは当然ながらこういうこと。
  蓮華部
  金剛(薩捶)部
  佛/如来部
  寶/摩尼部
  羯磨/忿怒金剛部


ただ、その表現は女尊中心になり、チベット仏教でのその発展形は次第に黒魔女的な姿に変って行く。そうなってしまうと、宗教家だけは擁護するものの、素人には教義が全くわからぬ状況に陥り、眺めただけで嫌悪感を催す人も少なくない。ただ、《五部曼荼羅》がそれらの原型なのは間違いないところ。

と言うことでザックリと眺めておこう。

【如来部】
菩薩形で金剛器仗、蓮華、宝珠を持物(佛法僧を象徴する三大三昧耶)とする三尊。
佛の金剛薩堙、法の観音、僧の虚空蔵。

【金剛薩捶部】
中央の金剛薩が、右に"欲・触"、左に"愛・慢"の4尊を寄せる如くで、同一の蓮台上で同一円光内に存在している。不空三蔵 訳:「般若理趣釈」に基づくらしい。
 欲…大欲 持物弓箭
 触…大楽 両手交叉金剛拳 持物金剛杵
 愛…摧大力魔 持物摩竭幢
 慢…遍三界自在主 金剛拳 頭左傾
醍醐寺所蔵の五秘密像@鎌倉期[→(C) Daigoji Cultural assets Archives]が該当しているのかも知れない。大人しく美麗な図画だが、これがチベット仏教系になると男女関係の濃厚親密さを直接的に表現する図絵と化す。

【忿怒金剛部】
主尊が金剛日火焔。侍尊はすべて金剛女。ヒンドゥー教カーリー眷属の敵を殺して血肉を食らう女鬼 荼枳尼らしい。チベット仏教系は通常上半身は裸体のようだ。
 持箭女=金剛欲
 持カトヴァンガ杖女=金剛暴悪自在摧破女
 金剛湿奴女/ビシュヌ
 金剛鈴幡=慢女


【蓮華部】
主尊が蓮華舞自在=観音。女四侍尊。
 蓮華湿奴女/ビシュヌ
 顰眉女
 白衣母
 蓮華愛染女


【宝部】
主尊が虚空蔵。女四侍尊。
 灌頂女
 庫女
 執幢最勝女/仏威力
 大供養女


(参照)
川崎一洋(一洸):「五秘密曼荼羅について」智山学報 60, 2011年
川崎一洋:「五秘密尊と五秘密曼荼羅」印度學佛教學研究 59(1), 2010年


このような曼荼羅をわざわざ取り上げたのは、チベット仏教の無上瑜伽タントラへと進む密教の流れの緒元を見ておきたかったから。"所作→行→瑜伽(yoga)→無上瑜伽"とされているのだ。

チベット密教は、確かに日本の密教と同根ではあろうが、その曼荼羅図柄が余りにかけ離れている印象を与える。「歓喜仏」と呼ばれるカテゴリーの尊像群であり、俗に言うアダルト的な図絵が多く、反社会倫理的な印象は否めないものも少なくない。当然ながらウエブ情報は極めて乏しいし、たまたま出くわす解説も今一歩歯切れが悪いようだ。
(性的行為に留まらず、殺人肯定や非倫理的食事等々の異常カルト教団的色彩が加味されてもおかしくなさそうな図絵である。もともと、ヒンドゥー教には分派が数限りなく存在しており、古代の生贄儀式や性的祭典から、黒魔術までママ受け継いでいる場合もあろう。)

中華帝国では、800年頃には密教はほぼ終焉しており、1260年にクビライがチベット仏教サキャ派教主パクパに国師称号を授ける迄、ほとんど空白期間と言って間違いないだろう。言うまでもなく、インドでは仏教そのものが霧散してしまった。(実態としてはヒンドゥーのマイナーな一派に陥って消滅したということ。)そんなことで、日本列島への大陸からの密教の影響力はほとんどなくなってしまい、日本の密教は孤立化したと見てよかろう。
しかし、その割には、チベット系の曼荼羅図絵自体はかなりの数が渡来していたようでもある。


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