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■■■ 曼荼羅を知る [2019.2.23] ■■■
婆羅門 [2] ベーダ33神

方位護法神とは婆羅門が創った「ベーダ」教的曼荼羅と見ることもできよう。もちろんサンスクリット語(梵語)での記述で、印欧語族最古の経典(讃歌/マントラ+供犠歌詠+祭祀詞+秘術呪詞)だ。

長い年月で形作られており、宗教史が凝縮していると考えることもできよう。神々の構造を造る必要性から、主尊とその護法神という配置を考え出したのが、曼荼羅のハシリということでは。
インドの宗教的風土は多神教。「ベーダ」経典が増補される一方だと、仕舞いにはまとまりがなくなりかねまい。それを避けるには、どうしても中心を造っておく必要があり、主要神の位置付けを明確にしたくなるのは当たり前。

しかし、もともと、「ベーダ」には最高神たる創造神は不在。
当初の基本思想は、神々はあくまでも宇宙創造後に生まれる存在でしかない。従って、本来的には造物主=最高神を新たに定義するのは無理筋なのだ。換言すれば、信仰的には、時々の祭祀に勧請された神が、その場での最高神と見なされたきたのである。
しかし、そこには手があったのである。経典には、形而上の概念でしかない"真理"が記述されているから、それを人格神にしてしまえば最高神はもともと存在していたことになるからだ。それを創造神あるいは造物主と定義すれば、神話の神々と同じように扱えることになる。そして、この中心の神と他野神との位置付けがなされれば、自動的に曼荼羅が生まれることになる。
【参考】梵我一如の元はナーサディーヤ讃歌@「リグ・ベーダ」第10巻129編1〜5とされる。[辻直四郎 訳:「リグ・ヴェーダ讃歌」岩波文庫 1970年]
○そのとき無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。なにものか発動せし、いずこかに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は存在せりか。
○そのとき、死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼の標識もなかりき。かの唯一物は、自力により風なく呼吸せり。これよりほかに何ものも存在せざりき。
○太初において、暗黒は暗黒に覆われたりき。この一切は標識なき水波なりき。空虚に覆われ発現しつつあるもの、かの唯一物は、熱の力により出生せり。
○最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意の第一の種子なりき。詩人らは熟慮して心に求め、有の親縁を無に発見せり。
○彼らの縄尺は横に張られたり。下方はありしや。上方はありしや。射精者ありき。能力ありき。自存力は下に、許容力は上に。


要するに、「ベーダ」教としては、主要神を整理して位置付ける櫃調整に迫られたということだろう。インド神話の世界だから、それこそ無数の神々が登場してくるので、絞り込むことにしたのだと思われる。
それが33神。

ベーダ33神
 《8 Vasus》【元素】
 ディヤウスDyaus/特尤斯/天空父 【天】
 プリティヴィーPṛthivī/頗哩提/地天 【地】
 ヴァーユVāyu/伐由 【風】…大氣
 アグニAgni/阿耆尼  【火】…祭祀/淨化
 ナクシャトラNakṣ.atra 【星】
 __Antarikṣa 【空】
 スーリヤSūrya/蘇利耶 【日】
 _  └→《Āditya》↓ ヴィシュヌ
 チャンドラChandra/戰達羅 【月】
 _  └[祭祀]→ソーマSoma/蘇摩[ソーマの発祥は酒神]
上記8尊が多神教の自然神の代表ということになる。しかし、自然神の中で古くから最高神的扱いを受けていたのは、インドの場合は【水】だろう。
そのため、相対的に【天・空・地】は軽視されていたかも知れぬ。
一方、33尊の残りには、現世(実社会)や来世(死後)を司る神々が並ぶ。そのなかでは、インドラ、ヴィシュヌ、ヤマが自然淘汰的に重視されたということだろう。

形而上の最高神1尊と33尊の代表を護法神として選ぶというのが、構想的には、曼荼羅基本形だったのではなかろうか。

ところが、そうは進まなかったのである。

33尊を並べたところでその全体像が何を意味しているのかわからないからだ。ずっと続けて来た祭祀毎に神を選ぶというなかで、推奨対象がわかり易くなったにすぎず、社会情勢に応じた人気尊があたかも主尊のように見えてくるだけ。
しかし、そのインパクトは大きかったのは間違いない。以下の神群は、地母神ならぬ神母神が生み出したとされているからだ。つまり、曼荼羅に登場する尊は、神母の胎内から生み出されるという思想を定着させたのである。インドラ(帝釈天)もヴィシュヌ(毘紐天)もヤマ(閻魔天)も皆、その子ということ。バラバラではなくなったのである。
33尊曼荼羅は、上述の8自然神と以下のアディティ胎蔵の12の神々を主体とすることになる。

 《アーディティヤ神群 12 Ādityas》…各地"旧"太陽神か対偶/同等扱い尊。
  アディティAditi…神群母 [● 除:Kashyapaとの子@「リグ・ベーダ」]
 ○◎▲*ヴァルナVaruna/伐楼拿 【水】…海-宇宙
 ○◎▲*ミトラMitra/密多羅…契約神
 《Vasu》↑ スーリヤ【日】
 《Vasu》↑ チャンドラ【月】
 《Vasu》↑ アグニ【火】
 _______Kamadeva
 ○◎_インドラIndra/因陀羅 (=▲Śakra)(氣候・戰爭)
      主尊化[◎:「リンガ・プラーナ」]
 _______Aditya
 _○◎▲_ヴィシュヌVishnu(もともとは陽光)
      主尊化[○:@「バーガヴァタ・プラーナ」]
      主尊化[▲:@ヴェーダーンタ学派]
 __▲*アリヤマンAryaman(歓待)
 _______Tvashtha
 __○◎____Dhata
 _○◎▲_バガBhaga(分配、幸運)
 _______Vivasvan
 __○◎____Amshuman
 _______Pushya
 _______Brahma
 __◎▲_トゥバシュトリTvaṣṭṛ/陀湿多 (工巧)
 __◎▲*サヴィトリSavitṛ/沙維特力 (金光=太陽)
 __◎▲___Vivasvat
 __◎▲___Pūṣan
 _______Dhūti
 ___▲*アンシャAṃśa(配当)
 _____ヤマYama/閻摩 (死者審判)
 _______Ravi
 _______Dhātṛ
 _______Bhaga
 _______Arka=スーリヤ↑
 ____ダクシャDakṣa(意力)…概念創造神
 《11 Rudras》
 《他》
 ______アシュヴィンAsvin(s)(or Nasatyas)/阿湿波/双馬童(医術)

注目に値するのは、ミトラという契約神が入ってくること。抽象概念であり、人格的なものではないのである。外来の人格神が変貌を遂げたということだと思われるが、曼荼羅が理念というか一種の哲学を神像で現そうという流れの端緒的なものと見ることもできよう。
そういう観点で、上記のダクシャが概念創造神となり、その独自の曼荼羅世界を築いた点は画期的なことと言えよう。様々な概念神が生まれた訳だが、この場合は神母ではなく、ダクシャDaksha(意力)とPrasutiの結婚による。
もしかすると、それは初の結婚かも知れない。

新しい"概念"を他人に伝えることは難しいが、サンスクリットの世界では、それは神生みということになる。確かに、概念創出は分析から生まれるものではなく、突然の閃きと言うか、直観的な気付きであるから、この発想は現代にも通用する。・・・
《24娘[Vishnu Purana & Padma Purana]》
 シュラッダーSraddha…信念(信仰の神)
 バクティBhakti…信愛
 __Dhrti…継続
 __Thushti…諦観
 __Pusti…隆々
 メーダーMedha…知性、知力、知力の女神
 クリヤKriya…行動
 __Buddhira…知性
 ラッジャー・ガウリーLajja Gauri…謙虚の女神
 __Vapu…身体
 シャンティSanti…心の平安/寂
 __Siddhaih…完璧
 __Kirti…名声
 __Khyati…名士⇒ブリグ族(「アタルヴァ・ヴェーダ」の元)妃
 サティSati…念⇒シヴァ妃
 __Sambhuti…適応
 __Smrti…記憶
 プリティPriti…愛
 __Ksama…容赦
 __Sannati…従順
 アナスーヤーAnasuya…嫉妬無しの熱情
 __Urjah…滋養物
 ソワカ[薩婆訶]Svaha…"願いが叶いますように"⇒アグニ妃
 スヴァダーSwadha…葬儀奉納

「ヴェーダ」教としては、以下の概念も重要だと思うが上記とは系譜が違うようだ。
 ヴァーチュ<Vāc(言葉)
 タパスTapas(熱力神)
 マータリシュヴァンMatarisvan(天から火を与えた神)
 アーパスĀpas(単純な滋養的水)

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