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■■■ 曼荼羅を知る [2019.2.24] ■■■
婆羅門 [3] 最高神

密教曼荼羅の主尊 大日如来像は宇宙そのもののシンボル。本来的には、その名称は、摩訶毘盧遮那/盧遮那佛Mahāvairocana。"光明遍照"という意味であり、純粋な理念から生まれた法身佛。これに対して、釈迦如来は人間釈尊が悟りをひらいた仏だから應化身佛ということになり、One of themの仏と解釈することになる。
この法身佛こそが、宗教哲学上唯一無二の至高の地位の仏ということになる。

「ベーダ」経典でも、そのような理念追求の苦闘というか、様々な見方が併存して記載されている。しかし、それはあくまでも哲学上の観点からのもの。
理念自体が、神格を持つまでには至っていない。

しかし、様々な概念の神格化が進んでくれば、当然ながら、宗教哲学上の理念も神格化せざるを得なくなる。

そうなると、手は一つしかなかろう。「ベーダ」には存在していなくとも、シンボライズするのに有効と思われる言葉を用い、類似イメージの神のイメージを重ねて、理念神を創出することになる。
それは意識的な宗教改革ではなかったようだが、「ベーダ」経典を越える新しい宗教に衣替えする運動を意味しよう。「ベーダ」教に於ける法身神信仰の始まりである。
梵我一如という哲学を、神格化した訳である。
  ブラフマーBrahmā/梵天 @ウパニシャッド (創造神)

インドでの神格だから、伝統に従い結婚することになる。お相手は音楽・学問の女神だ。
  サラスヴァティーSarasvatī/弁財天…ブラフマー妃

もちろん、「ベーダ」教は多神教ではあるが、一神教に変る訳ではない。もともと、造物主自体が欠落している訳ではないからだ。
地・空・天の三界発想があり、元素としての自然神が設定されている訳で、それら諸神を生む、最初に顕れた造物主があっておかしくはなかろう。しかし、そこには存在理念は無いから、唯一絶対神ではありえず、複数並存になりかねない。
宇宙は亀という有名なインド神話にしても、亀は元素ではないから、それを造る神が居る筈なのだ。

どうあれ、こうした世界創造神話から、ヒトの存在する意味を宗教哲学として抜き出し、それを神格化たのがブラフマーということになろう。
と言っても、おそらくベーダの神々の上に君臨するのではなく、諸神信仰と親和性が極めて高く「ベーダ」学の知の頂点といったところではあるまいか。「ベーダ」教の頂点とは、要するに祭祀差配者であり、諸神の祭祀を総括する知の神ということになる訳で。
インド風土的には、婆羅門階級の上層部勢力が祀る神ということだろう。

従って、当初の仏教にも親和性があり"梵天勧請"といった話が生まれたのだと思われる。
しかしながら、一旦、このような神格が生まれれば、ブラフマーが造物主を生むストーリーが出来上がっていくことになる。さらには、ブラフマーと一体化可能な宗教家(仙人)が造物主の一機能を担うという構造にならざるを得まい。・・・

プラジャーパティ、等 [@「ベーダ」の祭儀書「ブラーフマナ」]Prajāpati
   "生主"+リシRishi詩聖的7"仙人"》
 ◆◇□マリーチMarici/摩利支…日天眷属
 ◆◇□アトリAtri/阿低利
 ◆◇□アンギラスAngiras/鴦耆羅斯
 ◆◇□プラハPulaha/羅訶
 ◆◇□クラトゥKratu/迦羅=リトゥ
 _◇□プラスティヤPulastya羅娑底耶
 ◆◇_ヴァシシュタVasishtha/婆私
 __ブリグBhrigu/婆利古
 __ナーラダNarada/和那羅陀
 ___ゴータマGautama
 ___アガスティヤAgastya/投山仙人
 ___ヴィシュヴァーミトラVishvamitra/衆友仙人
 ___ヴィヤーサVyasa/耶娑/廣博仙人
 _ダクシャDakshaプラチェータスPrachetas
 ___チヤヴァナChyavana
 ___ジャマダグニJamadagni/食火仙人
 ___バラドヴァージャBharadwaja/持力仙人
 __カシュヤパKasyapa/迦叶波仙人
      カドゥルーKadru & ヴィナターVinata⇒妻
 ___Arishtanemi Kardama >Samshraya Shesha Sthanu Vikrita Vivasvan

結局、「ベーダVeda」経典[本集]は4部になった。
 ○リグRig…諸神を祭壇に勧請し威徳を賛称する自然神賛歌
 ○サーマSāma…ウドガートリUdgātṛ祭官管掌の旋律歌詠
 ○ヤジュルYajur…アドバリユadhvaryu祭官管掌の祭式供犠祭詞
 ○アタルバAtharva-…攘災招福呪詞:アタルバンAtharvan族呪術+アンギラスAṅgiras族呪詛
       実際の祭官はブラフマン


この最後はいかにも秘儀的呪術書に映るが、インドではどう見ても祭祀=呪法の社会であり、讃歌行事次第と呪術の間に溝がある訳でもなく、一種の思想書に仕上がっていそう。
換言すれば、「ベーダVeda」経典未公認の呪術行使は敵対的行為と見なされるだけの話。このため、この部分は十分に練り上げられ、洗練された"最高原理"としてまとめられたと見てよかろう。
[登場するのは、支柱(スカンバ)、生気(プラーナPrana/氣)、時(カーラ)、紅光(ローヒタ)、遍照(ビラージュ)、意欲(カーマ)、・・・、牛]
従って、その気になれば、そこから生まれた概念をすぐに神格化できる訳だ。それを構造化すれば立派な曼荼羅ができあがる。

尚、「リグ・ベーダ」に"全てをなす者"が登場していないという訳ではないから一言追加しておこう。モノを設計して作るという行為を指している神が存在しており、全知で万能とされている。しかし、神々の武器製造者イメージが強く、宗教的な造物概念と同一視するのは無理があろう。
  ヴィシュヴァカルマンViśvakarman/毘首羯磨/巧妙天
しかし、この神は別の点で極めて重要な役割を果たしている。インドラのヴァジュラ/金剛杵の製作者だからだ。これなくして、金剛界曼荼羅三昧耶会も成り立たなかった訳で。
 宗派のリーダーが最高神として祭祀対象に選定する訳だろうから、実質的最高神は祭祀階層の最上位クラスの祖先神たる祭主仙人と考えるべきかも。
  ブラフマナスパティBrahmaṇaspati or ブリハスパティBṛhaspati/祭主仙人 (祈祷)


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