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■■■ 曼荼羅を知る [2019.2.25] ■■■
婆羅門 [4] 反概念神ムード

唐代の書「酉陽雑俎」の著者 段成式は当時最高レベルのインテリ仏教徒であり、勿論、国際派。その本には、様々な妖怪や呪術話が満載。もちろん創作ではなく、伝承"事実"を淡々と記載。
社会の要求は、理念ではなく、あくまでも実利であり、呪術でその要求に応えられないと沈没していく様子がアリアリ。曼荼羅はある意味、それが可能な僧侶を育成する合理的システムの道具であった可能性があろう。しかし、秘匿できるものでもなく、口外しないもののその存在は結構知られていたのではないか。
そして、それが仏教勢力の存在感を薄めて行かざるを得ないと思っていた節がある。仏教は開かれた都市では有効だが、そこから離れればそこには異なる信仰風土が拡がっており、それは唐だけでなく天竺も同じだと気付いていた可能性があろう。

段成式が一番感心しているのは、仏教が精緻に描き切った須弥山世界である。世界観をイメージとして提起したことには、驚きを隠せなかったようである。そこに登場する仏や神の類はそれぞれ人格を持っており、住む場所の風景も具体的なもので、そこには形而上的な作りもの感が無いからだ。
これが、そのまま曼荼羅化されれば、人々はその世界に楽に入れた筈である。
しかし、胎蔵曼荼羅や金剛界曼荼羅はそれとは全く異なり幾何的頭脳作業で作り上げられた絵図にしか見えない。知識人にしか、その意味はわかりようがないのである。
道教は決してそのような道はとらない。仏教はあくまでも貝葉の文字に拘るが、道教は壺イメージで訴える違いでもある。

つまり、仏教勢力は社会風土の理解度が低いのに気付いた訳である。仏教徒が余りにインテリすぎるのだ。
だが、それはそれ。段成式は、それだからこそ仏教徒中心のサロンをこよなく愛した訳である。しかし、そんな社会は早晩なくなる可能性が高いから、なんとしても書物として残しておこうと決断したから生まれた著作。

この発想で、曼荼羅を考えると、状況が見えて来る。

曼荼羅には当然ながら主尊がある。しかし、密教のソレは社会的トップという立場といささか異なる。金剛界の諸尊を見れば一目瞭然だが、相互交流ありきの世界。上位下達では成り立たないことをくどい程に示している。
しかし、それは唐の一般の人々には極めて理解しにくい筈。そこをわかっている道教では、神の世界を完璧に官僚組織化しているのだ。
カースト制度下のインド社会などなおさらで、相互関係の意味がそもそもわからないのではないか。
情緒語でコミュニケーションを図る上に、動植物との精神的交流が当たり前の日本社会は密教が通用する例外的地域と言ってもよかろう。

婆羅門も密教も余りに概念神に拘りすぎたのである。

王権にとって、なにより重要なのは軍事である。
呪術で兵力向上が図れなければ、捨てられるのはわかりきったこと。思弁的な曼荼羅で鍛え上げた仏僧やベーダ祭祀者より、神話を語る民衆布教で鍛え上げた勢力に分があるのは当たり前だと思う。

普段信仰対象としている神々を抱えているとはいえ、仏教経典やベーダ経典ベースの"理智"をウリにするのではなく、ソコ存在する民衆の熱情を沸騰させる神話ベースの信仰に流れが向かってしまったのである。

要するに、インドの信仰書が「ラーマーヤナ」になってしまったのである。

大日如来や梵天ではなく、主人公のラーマへの祈願が第一義的に重要となってしまった訳だ。
王権にとってみれば、社会的にはなんら問題はないどころか、支配力増強に繋がるのだから、この流れが始まれば止まらない。形而上的な信仰は表から消え去るしかなくなる訳だ。言うまでもないが、それはベーダ経典の自然神をも取り込んだ、新しいタイプの経典ということになる。・・・
「ラーマーヤナ」には、アグニ(火神)が登場するし、ヴァナラ族/猿族にも自然神の子が多い。
 ハヌマーン/哈奴曼…風神ヴァーユの子
 スグリーヴァ…太陽神スーリヤの子
 ヴァーリン…神王インドラの子
 ガンダマダン…財宝神クヴェーラの子
 ニーラ…火神アグニの子
 マインドラ・ディヴィク…アシュヴィン双神の子
 シャラバ…雨神パルジャニヤの子
もちろん、数々の聖仙も。さらには、現実社会で古くから信仰を集めていた河川神。
 ガンガーGanga/恒河女神…ガンジス川女神
河川神は土着神の典型であり、こうした神を的確に扱わないで信仰を広めるのは無理筋ではなかろうか。
  ━河川神Prajapati━
 ヤムナーYamuna…ヤムナー川(ガンジス川支流)
 カーヴィリKaveri…タミル・ベンガル湾に注ぐ
 ナルマダーNarmada…アラビア海に注ぐ川
 ゴダヴァリGodavari…ベンガル湾に注ぐ

この流れを生みだしたのが、ヴィシュヌViṣṇu/湿奴/毘瑟信仰勢力である。

もともと、「ベーダ」教に最高神の考え方は無いから、概念神を至高とする位なら、ヴィシュヌこそその地位に就くべしとなろう。多神教とは、それぞれの地域の土着の神が至高なのであって、それと新たな神の関係を造らず曼荼羅だけ提起されても改宗することは考えにくい訳で。

つまり形而上の曼荼羅ではなく、「ラーマーヤナ」神話曼荼羅を生み出したのである。これは実にわかりやすいし、すぐに図絵ができる。
現代のヒンドゥー教寺院に必ずある巨大な尖塔とその壁に並ぶ膨大の数の像がソレである。石積み建築を導入したことで、石窟や絵図でしか示さなかったものが、視覚に直接訴えることができるようになったのだから大衆教育宣伝という点では勝負あったと見てよかろう。

ヴィシュヌの出自ははっきりしないが、その一大特徴は多くの化身(アヴァターラ"avatāra")を持つこと。様々な神話を抱え込んだのである。「ラーマーヤナ」のラーマはもちろんだが、インドの2大叙事詩とされるもう一つ「マハーバーラタ」ももちろん登場する。当然ながら、釈尊も抜かす訳にはいかない。
 ・魚マツヤ
 ・亀クールマ
 ・猪バラーハ
 ・人獅子ヌリシンハ
 ・侏儒ヴァーナマ
 ・斧を持つ(パラシュ)ラーマ羅摩
 ・ラーマ羅摩@「ラーマーヤナ」…デーヴァナーガリー
 ・K天/クリシュナ@「マハーバーラタ」
 ・仏陀/釈迦牟尼
 ・カルキ
つまり、以上10会の曼荼羅が生まれているようなもの。叙事詩以外はどのような話かわかってはいないが。

要するに、概念から新たに創造された最高神ではなく、古き伝承に基づく神格ある神を最高神にする奔流が生まれてしまったのである。バラバラだった多神教で、それぞれが最高神だったのが、最高神を主神とする曼荼羅の一部会の最高神という形態に移行してきたのである。
「ベーダ」経典から、「プラーナ聖典purāṇa」への移行が始まったのだ。これぞまさしくヒンドゥーイズムの誕生であり、時代を画する動きと見てよいのでは。
この宗教書(下記に示す18書)の記述中心は、ヴィシュヌ系とシヴァ系の話。「べーダ」教のブラフマンは神と言うよりは真理という形で言及されがちになる。「ベーダ」よりずっと後の編纂書だが、その題名からして、「ベーダ」には収録されなかった非祭祀者階級の古い伝承物語りが多数含まれている筈だ。

密教曼荼羅の外金剛院の神々の扱いがこの流れに火をつけた可能性は高い。祭祀宗教を取り仕切るブラフマンの特権階級からの思想的自由度を得るべく密教に入った学僧がヴィシュヌやシヴァ信仰勢力に流れてもおかしくなかろう。
「プラーナ聖典purāṇa」(18書)
[1]ブラフマBrahma or Adi Ⓥ Ⓢ (Brahma無)
[2]パドマPadma Ⓥ Ⓢ
[3]ヴィシュヌVishnu Ⓥ
[4]ヴァーユVayu Ⓢ
[5]バーガヴァタBhagavata…最も有名 Ⓥ
[6]ナーラダNarada or ブリハンナーラディーヤBrihannaradiya Ⓥ Ⓢ
[7]マールカンデーヤMarkandeya Ⓑ
[8]アグニAgni
[9]バヴィシュヤBhavishya
[10]ブラフマヴァイヴァルタBrahmavaivarta Ⓥ Ⓢ Ⓑ
[11]リンガLinga  Ⓥ Ⓢ Ⓑ
[12]ヴァラーハVaraha Ⓥ Ⓢ
[13]スカンダSkanda Ⓢ
[14]ヴァーマナVamana
[15]クールマKurma Ⓥ
[16]マツヤMatsya Ⓥ Ⓑ
[17]ガルダGaruda Ⓥ Ⓢ Ⓑ
[18]ブラフマーンダBrahmanda
   KEY: ⓋVishnu ⓈShiva ⒷBrahma
(参照) 中野照義[ウインテルニッツ訳]:「プラーナ概説 」密教文化(40) 1958年


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