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■■■ 本を読んで [2014.9.15] ■■■

打ち放しコンクリート建築を眺めて

今回取り上げる本は「Ando」。

30cmもあるハードカバー本で写真中心なのでかなり重い。もちろん、中味は、浮世絵ではなく、建築。
それほど高価ではないが、じっくり読みたい訳でもないので図書館で借り、ざっと目を通しただけ。書名でお分かりの通り、日本語はどこにもない。

それをどうして見つけたかというと、ある本で参照文献に登場してきたPhilip Jodidioで蔵書検索したため。どうせ図書館の貸出書籍には入っていないだろうと思ったら、豈図らんや、2冊も。「Ando」は、UpDate版ではないものの、2012年版所蔵とわかった。
実に、良き時代になったもの。

と言っても、素人だから、賞を総嘗めにしている超著名な建築家の作品画像を見るだけのことで、それほど意味がある訳ではないが。
ただ、ウエブで写真を見るのと違い、プロの視点で撮影したものだし、解説で、どこが肝とされているのかもわかるので、このような本に接することができるのは嬉しいもの。

どうして「Ando」かという話になるが、好みの作品群ということではない。

と言うのは、小生は、打ち放しコンクリートの生地剥き出しは嫌いだからだ。なんといっても、土や漆喰が落ち着くし、木、布、紙の質感を感じさせる環境を美しいと感じるからである。もちろん、それは住居用であるが、ビジネス用なら機能的美しさを見せる全面ガラスビルが心地よい。
"The essential building materials of the 20th Century are
 glass, concrete and metal
 In my architecture
 I seek be built with these materials.
"
・・・という主張らしいが、それは理屈ではわかるが、コンクリート剥き出しは小生にはつらいものがある。
この辺りは個人の好みであるから、どうにもならない。
なんといっても現代の建築に欲しいのは、「洗練された美」だと思う。アバンギャルドでもないのに、コンクリート剥き出しを誇示してもらっても、という感覚。
作品の写し方にもよるが、例えば、「4WTC」(槇文彦設計)には都市建築らしさというか、都会の個性を感じる訳である。将来が拓けてきそうな雰囲気が醸し出されているとはいえまいか。

そんな感覚からすると、最近の代表作とされる東急渋谷駅には違和感を感じてしまうのである。どういうことか、えらく気になる訳だ。
乗降客がごったがえす所を狭く、人が使わないところを広くとるというセンスに拍手をおくる気にならないというだけではないのである。
空気の流通を考えた設計と言われているが、それは塵を運ぶ流れでもある。塵が溜まり易い場所を簡単に掃除できるか、といった視点が欠けていなければよいが。見かけ、掃除しにくそうな形状が目立つからだ。シンプルな打ち放ちコンクリート路線とは相当に違いそう。素人には、何故、そうするのかさっぱりわからない。もともと、掃除が行き届かず、汚れた空間が目につく駅だったから、余計に気になる訳であるが。

そんなこともあり、「Ando」作品がどう受け取られているか、覗いてみたくなった訳。

その結果、素晴らしい作品の存在を知った。
リノベーションタイプはどれも美しいのである。瑞々しいといった感じか。
○ INTERNATIONAL LIBRARY
  OF CHILDREN'S LITERATURE
 desigh:1996.8-2000.3
 const.:1998.4-2002.1
これは上野の国際子ども図書館である。そういえば、そうだったかと気付かせられた一瞬である。
上野でのんびり一休みするとしたら、小生は、精養軒のレストランテラスかココのガラス張りカフェを選びたくなる。
帝国図書館をそのままに、ガラスの直方体を突き刺したような形状は実に愉快だし、そういう場所でおだやかな時間を過ごすのは愉しい。日仏友好記念館でもある国立西洋美術館を越えた、上野のピカ一建築物ではなかろうか。

ただ、躍動感を生み出しているとまではいえないかも。水辺(a Venezia)の古い建築物(税関や邸宅)のリノベーションを眺めてしまうと。
この内装のセンスはずば抜けている。現代美術の展示スペースとしては屈指の環境を提供しているのではなかろうか。実物を見ていないから軽々しくは言えないが。
○ PUNTA DELLA DOGANA
 desigh:2006.1-2007.9
 const.:2007.10-2009.5
○ PALAZZO GRASSI RENOVATION
 desigh:2005.6-2006.2
 const.:2005.9-2006.4
作品を部屋に「置く」とか、額縁のように「掛ける」という展示しかできない作品は、どう見ても現代美術の主流から外れつつある。今や、壁や床も作品の一部として取り込む必要があり、そんな仕掛けを十分に配慮した「壁」と「床」を提供する必要がある。
そういう点では、大理石の立派な壁でも良いし、剥き出しのコンクリートや古い煉瓦壁もOKなのである。だからといって、なにも考えない倉庫壁はどうかと思う。「美」を感じさせる質感の有無こそが勝負。だが、それは、センスの問題であり、生易しい課題ではない。

そんなことを考えると、「Ando」流の打ち放しコンクリート生地剥き出しも悪くないどころか輝いてくる。

さすれば、現代美術以外にも、似た領域はあるということか。
茨木の教会建築は、そういうカテゴリーの作品と言えるのかも。
○ CHURCH OF THE LIGHT
 desigh:1987.1-1988.5
 const.:1988.5-1989.4
○ SUNDAY SCHOOL
 desigh:1997.3-1998.5
 const.:1998.5-1999.8
概念はわかり易く、そうかという気もする。
 ・quest for the relation between light and shadow
 ・shelter of the spilit

そんなものだろうか。
キリスト教会建築の素晴らしさは、天上からの光の流れ感とそれに乗ってくるような音響効果では。
打ち放しコンクリートに囲まれると、静謐感を呼覚まされるので、その点では優れているが、それと降臨体験的な気分になれるか否かは別だろう。鍵を握るのは、物理的な光そのものではなく、高いところから光が差し込んでくる感じがする点。シンボルの後光とは違うと思う。ほの暗きなかで、世界の実在感が得られるからこその、光ありきでは。
ただ、それは過去の建築様式の結果でもあり、絶対的なものではないかも。例えば、ゴシックなら、高窓からの光が闇のなかに降り注ぐ訳で、その雰囲気は荘厳感を呼ぶ。小窓しかないロマネスクなら、暗い室内の床に映る色彩の煌めき。そこにいるだけでなんともいえない安らぎ感を覚える。どちらも素晴らしい。しかし、現代の教会は新しい取り組みが必要なのかも。それを踏まえた様式がある筈である。
そうそう、感動的な差し込む光は、もう一つあった。神との契約を再認識し、充実した気分で扉から外に出ようとする一瞬の光の眩しさである。教会構造にもよるが、扉を開けかけると、その隙間から明るい外光が入ってくる時の感動は信仰心を強固なものにするのではなかろうか。

これは、言うまでもなく、神社仏閣の「杜」環境とは全く違う。木漏れ日や、かすかな風のそよぎを感じさせる静謐な環境があると、「神が居ます」感が生まれるからである。
モスクにしても、集団礼拝を挙行してこその建築物。従って、美しくて広さを感じさせる天井が肝では。その上で、信仰告白のためにひざまづく床の質感が重要となる。キリスト教教会の観点とは相当に違うと思う。
"I feel that the goal of most religious is similar,
to make man happier and more I ease with themselves.
I see no contradiction in my designing Christian churches.
"

うーむ。
このGoalには同意しかねる。
ここらが、小生が打ち放ちコンクリートを好きになれない理由かも知れぬ。

(本) Philip Jodidio:"ANDO. Complete Works 1975-2012" TASCHEN 2012


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