表紙 目次 | ■■■ 本を読んで [2014.11.3] ■■■ 日本の風景写真集を眺めて 「日本人が太古から見つめてきた荘厳にまで美しく、魂を揺さぶられる悠久の日本列島。」というのが、出版社による本の説明。 小生はこの分野にうといので、この方の著作も写真集も眺めたことはなかったが、初の英文本と耳にしたので、興味が湧いたのである。 それに、「日本の風景写真のあり方を大きく変え、いまなお後進に影響を与え続ける写真家」として評価が定まっていると聞いていたからでもある。(Canon ギャラリー開設10周年記念“時代に応えた写真家たち”写真展の説明) 実は、小生がいだく、日本の写真家のイメージは余り良いものではない。お弟子さんを引き連れて活動する、閉ざされた徒弟制社会で生きる人達に映るから。ただ、大家ともなれば、国際的活動も盛んなようである。しかしながら、それは、海外で精力的に写真撮影はするものの、作品は日本で発表というパターンだらけな感じもする。 まあ、それだけ国内の写真愛好家コミュニティが巨大ということでもある訳だが。 新宿御苑を散策したりすれば、それが実感としてひしひしと伝わってくる。何時訪れても、とてつもなく高価そうなカメラを抱えた方々だらけなのだから。 そんな素晴らしい国内市場の発展とともに歩んできたからこそ、この分野の企業が国際的に活躍できたともいえそう。 企業だけでなく、写真家の方々も是非とも国際的に活躍して欲しいもの。 ということは、さておき本に戻ろう。と言っても、そもそも、小生には写真集を批評するだけの素養は無いので、そのおつもりで。 どうだったかと、言われれば、「楽しめた」ということになろうか。 センスが光る写真がところどころに散りばめられていたからだ。予想とは大分違っていた。 と言うのは、「原風景」という題名だったから。おそらく、ステレオタイプの田園風景と古都の美しき姿満載かと見た訳。それに、世界遺産となったから富士山も加わるか。 要するに、カメリア・桜・紅葉の美しい色を季節の情景として写したものが中心との読み。 完璧なハズレではないが、感覚的には違ったものだった。 なんといっても、最初が肝心。 原風景と銘打っているのにに、1、2枚目の写真は、小石川植物園の風景。しかも、両方とも櫻ではなく、梅の花。季節は冬と早春である。そして、その春の情景を見て、思わず、これぞ日本という気にさせられたのである。 そこには遠足で来訪し、手をつないで歩いている子供達が小さく入っていたのである。 そう、これこそが日本のよさ。 木々で囲まれてはいる植物園ではあるものの、そこは現代の子供達にとっては紛れも無き「原っぱ」なのだ。 「ふるさと(故郷)」[文部省唱歌、高野辰之作詞、岡野貞一作曲]で、頭で覚えただけのイメージなど一瞬にして吹っ飛ぶ。 流石。 同じように味わったのが、常陸の国、大宮の山間集落のなにげない日常風景。フレームのなかでは点でしかないが、そこには、ビニール栽培畑での農作業の手を休めて、桜を見やる人の姿が見て取れる。そう、それこそが原風景そのもの。 その心根は、多治見の農村での、道端の石仏に花を手向ける人が住む世界とも共通するものがあろう。 別に、写真の人影に心を揺り動かされたという訳でもない。雪深い奥只見の山の、朝の情景にしても、その一枚の写真から、これから始まる一日を感じる人は少なくないのでは。 一面雪を被った山深い地ではあるが、よく見れば、そこには人の手が入っている。人里の一角でもある訳だ。なんの変哲もない景色とも言えるが、そこに「美」を感じるのが日本のセンスだと思う。 日本の「美しい村」には、歴史遺産など不要ということ。もっとも、それが海外で理解されるかはなんとも。 しかし、それこそが日本の誇る「自然美」であることは、強調してもしすぎということはなかろう。奇岩や高峰といった超人的な風景からすれば、なんということもない代物だが、だからこそ愛おしいのである。 言ってみれば、夏の空を見上げて、雲の姿をじっと見つめるだけで、その形と流れに「美」を感じてしまう感覚。従って、季語というか、写真には季節の象徴は不可欠であり、それと全体の調和のなかから歌が生まれないと「美」にまで昇華しえないのである。 移ろいのはかなさのなかに、嬉しさを見出すとも言えよう。 それは同時に、先人も眺めたに違いない情景を振り返る思惟活動でもあろう。 そんなことを、写真を見ながら、つい、つらつら考えさせられてしまった。 (本) 竹内敏信[撮影]:「日本人の原風景 BEAUTIFUL JAPAN THE GRANDEUR AND THE SUBTLETY」 2014/6/24 IBCパブリッシング 2014年7月8日 本を読んで−INDEX >>> HOME>>> (C) 2014 RandDManagement.com |