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■■■ 本を読んで [2014.11.22] ■■■

糸引納豆は日本オリジン

"日本の食文化の精髄「納豆」は、いつから? どこから?"という内容の本があることに気付いた。
実は、"生"テンペなるものがあるので、どういうことか一寸調べていて。 ("生"は日本で開発された独自商品のようである。わかったこと。:テンペ製造企業は、府中に1社、佐賀県白石と岡山県には幾つか存在し協会活動が盛んなようだ。テンペ菌の業者は秋田県大仙市と静岡県富士宮市。)

著者の方は、2002年に「酢ムツカリ」、2006年に「醤油」を上梓し、2008年がこの「納豆」。日本の大豆食を研究されている方のようだが、続編はどうなっているのだろうか。
尚、「酢ムツカリ」こと、シモツカレとは、北関東から会津辺りの郷土料理。名前を別にすれば、珍品という訳ではない。炒った大豆を卸し器で荒く卸し、大根、人参、 塩鮭の頭、油揚、酒粕と一緒に蒸し煮した料理。いつ、どこでかは、忘却のかなただが、同じような中味で、潰した大豆汁を味わった覚えがある。(尾瀬行の時だったか。)但し、名前を尋ねた記憶は無い。

この方は、1936年生まれで東京在住とか。美術史科卒業後に放送局に入社され、60歳で退社。それ以上のことは調べていない。ただ、こうした分野で長く仕事をされていた訳ではなさそう。「穴があれば入りたい」ということで、前著での誤植を悔やんでおられるくらいだから。
もっとも、「」を「鼓」としただけのこと。フォントの都合で変換されてしまったのではないかと思うが。 (小生は、そんな些細なこと、どうでもよいと思う。書いた目的を考えれば、ミスや勘違いはあって当然と言い放つべきでは。間違いを恐れて縮こまり、新しいものの見方を提起することを躊躇するのは最悪と考えるからだ。)

そうそう、お断りしておかねば。
著者の方には申し訳ないが、本を購入した訳ではない。検索ついでに図書館蔵書にあたってみて、すぐに借りてしまったからだ。こんなことが、パソコンさえあればすぐに可能なのだから、実に便利な時代である。

何故、そこまで関心を持ったかといえば、実に単純な話。
題名を見た瞬間、これは「日本の納豆の起源」は中尾説とは違うとの主張だナとピンときたから。未だに、「照葉樹林文化」信奉者だらけの世の中だが、その根拠の一つとされるのが納豆センター。従って、囃す本は五万とあろうが、表立った否定本は滅多にない筈。そこで、俄然興味が湧いた訳である。

6文献、5伝説を丁寧に検討した結論であるが、思った通り。・・・
  "「糸引き納豆」は、
   平安時代に入るころ、
   日本で独自に生みだされた食べものである。"

京都-滋賀地域発祥と見るべきとの主張。その初見は、延喜式の「等伊」だそうな。(尚、「納豆」の文献上の初出は、11世紀半ばとのこと。)

成程。そういうことかと妙に納得。

と言うのは、納豆好きが多いのは非照葉樹林帯の東日本。照葉樹林帯本場の西日本ではどちらかといえば嫌われているからだ。古代から、日本列島に納豆があったなら、そのような分布になるとは考えにくかろう。
京の上流階層で大流行し、それが拡がったと見るのである。そして、東日本ではそれがそのまま残っている訳だ。
いかにもありそうなこと。

一時的に流行っても、納豆は臭気があるから、雅を愛する層は長続きしまい。(現に、テンペにしても、日本製造品はどうみてもキノコ臭を落としている感じがする。ただ、臭わない納豆は人気が出なかったようだが。)しかし、それをそのまま受け継ぐ人達もいる訳である。
そんな伝承形態は、方言を知ると、いかにもありそうなこととなる。岩手南部辺り(伊達藩系)が目立つようだが、聞きなれない用語が平安時代の貴族の言葉だったりする。もちろん、武家の言い回しも残っている。それを方言と見なしているのだが、この地方独特というより、平安京の貴族や室町幕府の武士が用いていた言葉が残っているのである。
言語がその調子なのだから、食文化も同様であって、なんらおかしくない。

もちろん、「弥生時代に納豆が物理的に存在した可能性はないとはいえない。・・・(しかし、)証拠がない」訳だ。「照葉樹林文化」信奉者はどう考えているのだろうか。

一方、確たる証拠があるとは言い難いが、糸引き納豆日本独自論者の仮説の方はストーリー性があり実に魅力的である。
熱処理後の大豆を藁苞に入れた行為を、「しとぎ」と結び付けているからだ。滋賀辺りで始まったという見方は実に鋭い。
そう、そこは今でも、加熱せずに搗いただけの糯米を稲藁の苞に入れるだけの「しとぎ」風習が残っているからだ。
   「日本の餅文化起源仮説」[2007.10.31]
お供えした後は、燃やして食したりする訳だが、ついでに、加熱処理後の大豆も同様な形にして一緒に食べるというのは有りえそうな話。焚火にそのまま放置しておけば、納豆になる可能性は確かに高かろう。
感服。

(とりあげた本) 松本忠久:「平安時代の納豆を味わう」 丸善プラネット 2008

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