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■■■ 本を読んで [2015.1.6] ■■■

格差本ラッシュ

2015年正月、トマ・ピケティ氏が仏政府が授与を決めたレジオン・ドヌール勲章シュバリエ(5等)を拒否すると表明したとのニュースが流れた。

米国で大人気の「21世紀の資本」("Le capital au XXIème siècle")の著者で知られている経済学者の動きだが、哲学者たるサルトルの叙勲拒否を想起させる事態。
ひさかたぶり。・・・余りに昔の話で、そんなことを思いだす人も滅多にいないか。

ソリャ、公約していた財政改革を全く行わないオランド政権から表彰を受ける訳にはいかんだろう。政府はつまらぬことに精力を割かず、経済成長をどう実現するか頭でも使えと主張したも同然。

この本だが、巷の紹介では、格差是正こそがこれからの経済発展の道という主張とか。
手に取ると、いかにも学術書という装丁だし重い。もっとも、マルクスの資本論を考えれば、どうという量ではないが。しかし、頁を捲ると、どこも字が密集しており、途端に読む気がそがれる。
しかし、人気ぶりが報道され続けるとそうもいかぬといったところ。

確かに、こうした見かけとはえらく違う本である。短期的な話を理屈で切ってみせる俗っぽい経済書でないのは当たり前だが、一種の歴史話という感じさえ与えるのだ。
従って、新鮮さが光る本である。その点では秀逸。

しかし、定量的な解析の結果に基づいた経済モデルを提示したものとは言えまい。
セントラル・ドグマ「r>g」を打ち出した書であっても。・・・
 資本収益率[r]が
 産出と所得の成長率[g]を上回るとき、
 資本主義は自動的に、
 恣意的で持続不可能な格差を生み出す

そして、ローレンス・サマーズ氏も絶賛だ。
 この事実の確立は、
 政治的議論を変化させる、
 ノーベル賞級の貢献だ


ふーん、そんなものかというのが、素人の感想。経済学そのものに興味がある訳ではないから、問題意識がさっぱり合わないのである。
小生から見れば、一番の課題はあくまでも戦争回避という条件下での経済成長の実現。(サマーズ氏が、"この先経済成長は期待できないかも"と心配する姿勢ならよくわかるのだが。)つまり、経済成長と"r>g"がどう関係するのかのわかり易いモデルが示されていないので、「それで?」という感覚に陥る訳。しかも、突然、とってつけたような"情緒的な社会正義感"を煽るが如く、分配政策の提案が付随する。

資本主義経済が持て囃されるのは、あくまでも、"正味で"高い資本収益率を実現できる点。だから、好循環で経済が発展する訳だ。もしも、それに黄色信号が灯ったなら、その原因を考え、即自に対処することが緊要な課題となろう。
言うまでもないが、全面的な社会主義経済化を図り、分配を変えると、成長率が高まるとの根拠は薄弱というのが、素人でもわかる経験論上のドグマである。分配決定権を有する独裁者にひどい目に合わされる社会だけは避けたいというのが大方の願いだろう。従って、"r>g"と、このドグマがどう関係するかを知りたいのだが、わかり易い経済モデルが提示されている訳でもないので、どうしても強引な理屈に感じられ、分配論カルトの一種に映ってしまう。残念ながら、浅学の身には、納得感が得られないのだ。

そう言えば、おわかりになるかも。
要するに、格差の視点に少々違和感を覚えるのである。
上位の"少数"の人々がどれだけ富を所有しているかを重視する発想は、マルクス-エンゲルスの時代ならわかるが、現代では違うのでは。
社会問題として注目すべきは、下位の人口だと思う。それが本当に増えているのか否か。ここが肝。そして、特に、絶対貧困者人口が減っているか、否かだ。

なにせ、現代の統計数字からは、貧困状況はさっぱりわからないのだ。例えば、日本で考えれば、自分がミドルクラスに属すと感じている人から見れば、貧困層は見えてこない筈である。こまっていそうな人の存在は知っていても、たいていはローワーミドル的な生活者。他は、統計数字にかかってきそうにない例外的な貧困者でしかない。
もしも、この見方が正しいなら、貧困問題は大きなものではない筈。しかし、統計数字推移から推定すると、そんな訳がないのである。つまり、現状認識そのものが、できていない状態。これでは、格差問題に取り組むと言っても、政治的に都合のよい解釈が通用するだけ。これは一番拙い。
この本もその呪縛から解き放たれているとは言い難い。

ただ、概ね、誰でもがわかっていることはある。
貧困層を減らすという点では現代資本主義が大きな貢献を果たしたという事実。世界大戦以前とは大きく違うのは明らか。
この辺りの現実感に基づく見方は、この本には欠落していそう。ここら辺りも素人にとっては大いに不満が残る点である。

格差が小さくなった時期が指摘されているが、それは当たり前の話と受け取られる期間を指摘しているに過ぎないからだ。
 ・第1次世界大戦と第2次大戦の間
 ・第2次大戦直後

この辺りで、見ておくべきは、"情緒的な社会正義感"をウリにした金持ち許すな型の社会主義より、働けば貧乏から脱出可能という資本主義国家の方が、貧困克服という点で圧倒的優位だったという点では。
それを肯定するなら、分配論は避けるべしというのが基本にならざるを得ないが。

現に、こうした観点での、資本主義の優位性は今も続いているのは間違いなかろう。もちろん、"グローバルに見て"との但し書き付き。・・・世界で見れば貧困層が劇的に減っているのでは。そして、先進国では、高齢化で非労働人口が過多になりつつある。ところが、その層が酷い貧困に陥らずにすんでいるのが現実なのでは。そんなことができた時代はかつて無い訳で、それが不可能だった時代と同様な視点で格差を眺めてどういう意味があるか、はなはだ疑問である。

こう考えると、先進国の一番の問題とは、下層が世代を越えて固定化しないようにする仕組みを作ることだろう。

ともあれ、格差問題の議論は大流行中。
米国民主党の思想基盤の一角を担うロバート・ライシュ氏も「格差と民主主義」で参加。タイトルは"Beyond Outrage"だから、どのような感覚での「格差」指摘か想像がつくというもの。そこまで米国の状況は悪いのだろう。だからこその共和党内のティーパーティー旋風勃発ともいえよう。
2年先の大統領選挙の焦点はコレという流れを形成しようということでもあろう。
 暴走する資本主義が
 「格差」を生み出し、
 「格差」が民主主義を歪め、
 民主主義の歪みが
 資本主義の暴走を加速させる――


一見、そうかな、と思わせるが、コレはあくまでも"情緒的な社会正義感"を背景にした主張。
格差是正論の裏に、一国経済化推進の思想が流れていないか注意を払う必要があろう。国際官僚と新興国が地域ブロック経済化の旗を振っているからだ。
ブロック化は危険というのが、一大教訓だった筈だが、なし崩し的に、米国覇権許さずということで流れができあがってしまった。それと表裏一体のものとして。1%の富裕者が世界の富をコントロールする体制打破というスローガンが生まれつつあるのは明らか。

そんな流れが何を生み出すか、よくよく考えて欲しいというのが、素人の正直な感想である。

(本)
トマ・ピケティ (山形浩生,守岡桜,森本正史 訳): 「21世紀の資本」みすず書房 2014年12月
ロバート・ライシュ(雨宮寛,今井章子 訳): 「格差と民主主義」東洋経済新報社 2014年11月


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