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■■■ 本を読んで [2015.3.18] ■■■

消滅しつつある家庭料理哲学

大根の葉っぱぐらい美味しくて使い途の広いものはない」とのことだが、100%同意。確かに、炒めて鰹節は酒のつまみに最適。小生の場合は煎り胡麻も加えたりするが。もっとも、大根より、蕪の葉っぱを好みのソースで炒めた方が好き。
おっしゃる通り、菜飯も素敵だ。上質な油揚げがある時は、カリカリに焼き、細切りにしてこれに加えると最高。
もともとの大根の方だが、皮は佃煮が良いそうだ。拙宅ではキンピラ擬にしたりする。

そうそう、「男の食べるおひたしは必ず根三つ葉とか芹とか、香りのあるものでなきゃいけない」という一言も流石。
その通りだ。ただ、正確には、香りというよりは、癖がある個性的なモノだと思うが。

そんな母親に育てられた娘は、家庭料理哲学を伝承することになろう。・・・
サラダとスパゲッティとハンバーグで、晩ご飯は十五分でおしまい、という近頃の若い人たちの話を聞くと、気の毒に感じます。これじゃ日本の男たちはダメになります。
これまた100%同意と行きたいところだが、共稼ぎで、帰宅時間も遅い状態で、それでなくとも不足している睡眠時間を削ってまで調理時間にあてるべきとは思えない。しかし、おっしゃることはよくわかる。

そんなことを考えながら一気に読了。
料理研究家と呼ばれることを嫌ったと言われている、辰巳浜子さん(1904-1977)の主婦としての活躍話だけでなく、辰巳家の人々の考え方がよくわかる本である。

それだけなら、ご紹介する気にはならなかったと思うが、「母のパン・ド・カンパーニュ」の話があり、どうも気になったのでとりあげることにした。
食糧難の大変な時代を生きた「母」の典型像に思えたからである。
そう、この時代の人達は、当時の料理を語ることは先ずないのである。その頃使っていたと思われる変わった料理道具があったりもするが、それを尋ねても、そっけないご返事。それに、どうも、作ろうとしない料理があったりする。どのような想いがそこに籠められているのかは、なかなかわからない。

辰巳浜子さんの場合は、疎開先の田舎で日常的にパン・ド・カンパーニュを焼いていたそうだ。麦を栽培していたのだろうか。荒っぽい精麦しかできないため、粗挽全粒粉しか入手できなかったという。仕方がないので、塩・油・ふくらし粉を使って、鉄鍋で焼いたのである。防空壕内での非常食糧にもなった訳で、主婦の創意工夫の産物なのである。(本物を知る由もなく、真似の訳がない。)
米の配給も玄米になってしまい、毎日、石臼で挽いてお団子を食べたりという生活だったそうだ。
それなのに、パンを焼いた話も石臼の話も母は戦後、全然しなかった。何でかしらね………。
秀逸。

その感覚がわかると、来客をもてなす御馳走に登場する、母からの直伝、「うちの自慢の卵焼き」の意味も読めてこよう。
写真を見ればどんな料理か一目瞭然。
液卵を掛けながら固める、時間のかかる方法を採用しているのは間違いない。要するに煮詰めて濃味の卵焼きにする訳だ。しかも、ドドーンと多目の卵を使って。このやり方だと、かなり大きくしないと作れないということでもあろうが。
チマチマした豚の薄切り肉を使うような料理ではなく、大きな骨付き塊肉を用いたアイスバインこそがご馳走になるとの料理哲学なのだ。
もちろん、量は多いが手はかからないという料理ではなく、手は矢鱈にかかる。これを淡々とこなすことができる人はそうそういないのではなかろうか。

少なくとも小生にはできそうにない。

それに、小生の好みとはえらく違うこともある。
卵焼きは水分を飛ばさない柔らか目にしたい。塩(醤油では無い)を利かせた薄味で、良質の出汁の旨みを味わいたいのである。もちろん酒の肴として。従って、きつい砂糖味を避け、赤酒か良質の味醂でほんのりとした甘みが感じとれるものが最高。これに、大根卸を添えたり、味薄の場合なら葛を利かせた餡を掛ける。もちろん暖かいうちに頂戴する。
おそらく、辰巳家流卵焼きはかなり固め。この場合、油や砂糖を液卵にかなり入れないと美味しくないのでは。和風の出汁より、鶏ガラスープ向きと見た。
小生の場合、そのような卵焼きなら、バターリッチの卵焼きの方が嬉しい。こちらは、多分、誰が食べても美味しく感じる筈。健康に良くないからヨセと言われそうだが。

余計な話をしてしまったが、料理本ではないのでお間違いなきよう。
尚、著者は辰巳浜子さんの長女。2014年12月に90歳。

(本) 辰巳芳子:「食に生きて 私が大切に思うこと」 新潮社 2015年2月20日

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