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■■■ 本を読んで [2015.7.30] ■■■

半知性主義批判本を読んだ

アメリカ合衆国の動きを眺めていると、幼稚な正義を振りかざす覇権主義国体質濃厚に映る。その主張を聞いていると、原則主義的な人々と勘違いしかねない。実態と言えば、口先だけの、格好つけのことだらけ。ダブルどころかトリプルスタンダード的振る舞いが目立つが、気にはならないご様子。ご都合主義がまかり通る訳で、しゃにむに実利を追求する国であることがよくわかる。

米国文化は、欧州の、ズルで面白さ満杯の"知的な文化"とは、かなり違う訳である。
それこそが、アメリカ型キリスト教文化なのだろうが、どうして幼稚な政治的対応を懲りずに繰り返すのか、今一歩よくわからなかった。
と言うのは、どう見てもイノベーションを生み出す風土が存在しているのに、その桎梏でしかない浅知恵を政治の場面になると推奨しているように見えるからだ。広い視野と柔軟な考え方を否定し、カルトまがいの動きまでするから、いかにも矛盾していそう。

神学者の著作を読んで、それが氷解。
一知半解的ではあるが、勝手に解釈し、自分なりに分かった気になったのである。

こういうこと。・・・
アメリカの平等主義は、結果としての不平等にはいたって無頓着どころか、それで結構という姿勢そのものに映る。しかし、こと信仰に関してはそうはいかない。信仰における平等主義は絶対に譲れないのである。
簡単に言えば、「チャーチ」の知的支配断固許さずということ。(反知的支配と言っても、「知性 v.s. 靈性」ではないのでご注意あれ。)「カルト」的布教の自由は絶対的なモノ。
知的水準がいかに高かろうが、それは信仰の深さとは無関係。知性をウリにする層は支配層と結びついて腐敗しがち。それこそ頽廃そのものであり、罪の世界に踏み込んでいるのだから許し難い訳だ。つまり、神の御前では万人が平等であり、説教を誰でもができる仕組みを無くしてはイカンということ。単純に言えば、宗教における"知的"権威主義は許せんとなる。たとえ、その「カルト」が、単純にご利益を詠うだけのものだろうが、それはそれで結構ではないかという姿勢になる。
自己啓発運動はこうした土壌から生まれた、至極、宗教的なものとも言える。

これこそが、米国流「反知性主義」と言うものの正体らしい。
つまり、米国とは、あくまでも宗教民主主義国ということになる。政教分離と言っても、その根底にある哲学は、西欧とは似て非なるものと言えよう。
妥協を旨とする政治を追求している訳ではないから、政治に道徳観が持ち込まれること必定。当然ながら、極端に走る可能性大。

「チャーチ」による「カルト」メンバー強制脱退運動には格別センシティブな精神文化が出来上がっている訳だ。そのかわり、社会生活破壊を旨とする「カルト」に対しては徹底的な撲滅に立ち上がる筈。ここらの心情は、日本とは大きく異なる訳で注意が必要だろう。

2015年に入って、米国では"無宗教"が増えているという報道をよく見かけるようになったが、上記の見方が当たっているとしたら、それは大きな間違いでは。(そもそも、"unaffiliated"とは無宗教ではなく、無宗派ということだし。)
 <「特定の信仰集団に属さず」の回答率>
  Silent generation 11%
  Baby Boomers 17%
  Gen-Xers 23%
  older Millennials['81〜'89] 34%
  younger Millennials['90〜'96] 36%

"America’s Changing Religious Landscape Christians Decline Sharply as Share of Population; Unaffiliated and Other Faiths Continue to Grow Pew Research Center" May 12, 2015 Pew Research Center

この傾向は、「反チャーチ(宗教団体)」という宗教的反権威主義が蔓延しつつあると見るべきではなかろうか。
聖書の民でなくなりつつある訳ではない。
政治は、極端に流れる可能性があり、要注意と言えよう。

ちなみに、こうした「米国的反知性主義」の伝統を解説してくれた学者によれば、日本は「半知性主義」であると一刀両断。
確かに。
「日本的反知性主義」を猛然と批判する人達の思想自体が、権威主義そのものだったりするのだから。

(本) 森本あんり: "反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体" 新潮選書 2015年
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