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■■■ 本を読んで [2015.9.14] ■■■

アルパムス・バトゥルを読む

今回取り上げるのは、チュルク英雄叙事詩の邦訳本。ただ、小生の興味の対象は、チュルクと言うより、「草原の道の民」として。どんな心根なのか知りたかったから。(叙事詩は、現在の民族意識とは異なる性情を示していると言われている。)

そこで、少々長くなるが、"チュルク"の解説というか、自分なりにこの民族について、頭の整理をすることから始めたい。(尚、本の表記はトルコや突厥[汗国]と同じ"t音"のテュルクだが、小生は慣習的表記のチュルクとした。ちなみに、「史記」からすると、紀元前3世紀にはすでに存在していたと見なせるという。)

「草原の道の民」とは、ユーラシア大陸の騎馬遊牧民のこと。
西からチュルク系語族、モンゴル系語族、ツングース系語族に大きく分かれている。地域的には、黒海の北部 クリミア半島から、東の太平洋側までほぼ同緯度の帯状地帯。内陸の比較的冷涼な乾燥地帯だが、湖や河川が飛び飛びに存在しており、当然ながら、遊牧民の交易拠点としての都市が点在している地域。それらの都市を馬の道が結んでいた訳である。ただ、草原とは言うものの、針葉樹森林際やゴビ等の砂漠が含まれている。この場合、注意すべきは、砂漠といっても、一時的降雨で一面草原化する場所が多いし、アラブと違って地質が違うから必ず水溜りができる。しかも、砂漠内には雪山を源とする内陸川が流れているので超大型オアシス的と言うか、小規模なナイル河沿岸的な地も少なくない。
もちろん、この道の南は「シルクロード」。こちらの西端はトルコ(チュルク)民族が治めているボスポラス海峡。ご存知のように、現在のトルコは欧州の一員と称している。

この草原の道にはセンター的地域があった。現在消滅しつつあるアラル海に注ぐアム・ダリアの中上流域である。そこは、もともと砂漠化してもおかしくない環境だが、不安定とはいえ、山々からの豊富な雪解け水が内陸河川となって流入するので、広い農耕適地も存在する。その周囲はさらに広大な半草原だから遊牧に向いている。
つまり、そこには大型オアシス的都市国家が栄えていた訳。地下道型導水路や分流配流の灌漑施設が存在していたことが知られており、穀物・果樹・野菜栽培も盛んだったという。古代は、大いに栄えていたのである。何の証拠も無いが、ココが家畜発祥地の可能性さえあろう。そうだとすれば、遊牧も、その発展形としてココで生まれたことになる。そんなシナリオが描けそうな場所なのだ。もちろんいい加減なお話でしかないが、重要な見方。つまり、当初から、オアシス都市国家と草原遊牧部族は相互依存の関係にあったということ。

しかし、農耕民がこの世界に本格的に入ってくると、農地拡大のために草原/森林が次々と焼かれる。草原遊牧民がそれを黙認することなどありえまい。と言うことで戦乱必至。騎乗民兵でもある遊牧民が武力で優位なので、おそらく遊牧民による耕作民の奴隷化の方向に進んだに違いない。しかし、それは脱遊牧=軍隊創設を意味するから、農耕地域が経済力で凌駕するようになれば、遊牧民出自の首領は農耕民の首領化していく筈。
そんな流れがあるから、「草原の道の民」はパワーゲームの世界で生きていくしか術がないと言ってよかろう。

そんな流れのなかで、「中央アジア」と呼ばれている地域は、様々な勢力の接点に当たるので、そこでの覇権の入れ替わりは激しいものがある。当然、文化はゴチャ混ぜ。その系譜はよくわからないものになる。
実際、人種的にも、アジア大陸的黄色人種(モンゴロイド)一色ではないようだし、宗教的にも、イスラム圏とは言うものの(最初のイスラム帝国は10-13世紀のカラハン朝)、仏教遺跡があったりするし、その昔は拝火教だった可能性も高いのだ。(このような状況だから、為政者によって恣意的な「歴史」が流布されている可能性が高いので要注意である。)

ともあれ、チュルクとは中央ユーラシア大陸の類似語族として括ることができる諸民族の集団を指す。素人からすれば、語彙類似度が高く、互いの意思伝達可能性があり、ウイグル語を標準として使えそうな民族集団ということ。概略では、以下のようになろうか。
  <アナトリア(小アジア)系>
 トルコ人@トルコ共和国 (+北キプロス)
 アゼルバイジャン人@アゼルバイジャン共和国+イラン近隣地域
  <ブルガール系>・・・バルカンのブルガリアと共通祖先か。
 チュヴァシ人@[露]チュヴァシ共和国
  <南西部>
 トルクメン人@[露]トルクメニスタン共和国+イラン/アフガン北部
  <西部>
 クリミア・タタール人@[ウクライナ]クリミア自治共和国・・・スキタイの故郷では。
            ↑上記地名は名目(スターリン民族政策/強制移住以前)
 キルギス人@キルギス共和国
 カザフ人@カザフスタン共和国(サマルカンド,タシケント)・・・カザフ汗国[15-19世紀]
 カラカルパク人@[ウズベキスタン]カラカルパクスタン共和国
 バシュコル人@[露]バシュコルトスタン共和国・・・ウラル上流
 タタール人@[露]タタールスタン共和国・・・ヴォルガ上流
 ノガイ人@[露]カラチャイ・チェルケス共和国・・・バイカル湖付近
  <東部>
 ウイグル人@[中]新疆ウイグル自治区
 ウズベク人@ウズベキスタン共和国
  <モンゴル北西部>
 アルタイ人@[露]アルタイ共和国・・・アルタイ山麓
 ハカス人@[露]ハカス共和国
 トゥヴァ人@[露]トゥヴァ共和国
  <北西シベリア>
 ヤクート人@[露]サハ共和国
  【ペルシア系民族@中央アジア】・・・英雄叙事詩は似ていたりして。
            [注意:セルジューク朝はチュルク系オグズ]
 タジク人@ダジキスタン+アフガン北部
 パミール人[多様]@タジキスタン東部

と言うことで、英雄叙事詩の話に入ろう。

ご想像がつくかと思うが、民族毎に違う話だから、同類のものを集めて比較しないと、チュルクの心根には迫れない。それがある程度可能な邦訳があるのは有り難いこと。
例えば、冒頭からコーランの常套句で、敵は異教徒という場合もあれば、なんとなく仏教的感覚が絡んでいそうな気分の叙述が含まれたりする。明らかに、後世に改編されたもの。しかし、異なるバージョンを眺めていると、そこに共通性を見出すことができる訳で、それが元の形を示唆していると考えれば、それなりにチュルクの体質を読み取ることができよう。
それを助けてくれる解説付きなのも有り難い。それに従い、まとめてみた。

主要登場人物はこんな感じか。
【主人公たる英雄】
 "名(アルパムス・バトゥル)は体を表す"である。
  勇士(バトゥル)で、山のような巨人(Alp)、パムス(Pamys)
  ・・・アルプス型の山々を崇高なものと見ていそう。
  もちろん、バトルとなれば抜群の力量を示す。
 愛馬とほとんど一心同体である。
  超能力駿馬なくしては、力は発揮できない。
  英雄の名前は馬の名前と切り離せない。
 出自は有力者のこともあるが貴種性は無さそう。
 妹(燕が表象の場合も)が存在。
【客観的に眺めている人物】
 川の側にいる老人が事態を冷静に語る。
  英雄に加担はしないが、成果を期待。
 渡河は異界への入口。ほとんど戻れない。
【敵】
 部族首領(現実的には"汗")で残虐。
  英雄を地下牢に閉じ込める。
  夜(月が表象)/地下の王(王権シンボルは鉞)か。
 取り巻きには本来的には仲間も。
【妃】
 英雄並の力がある。
  異質(絹が表象の場合も)であることが魅力の根源。
 何故に拘るのか説明を欠く。自明なのだろう。

一方、ストーリーの核心部分はチュルクの特徴が出てはいるものの、どこにでもありそうな英雄譚と言ってよいだろう。
【出征】
 個人で討伐に出発。祝福されている訳ではない。
  苦難の道への挑戦。
  従者に関する記述が無い。
【捕囚から脱獄へ】
 疲れての長期間睡眠中に捕捉され牢獄留置。
  勇士の眠りは力を蓄える意味がありそう。
 鳥(鵞鳥 or 鶴)が「囚われの身」との伝書役を担う。
 敵首領の娘に脱獄を助けてもらえることも。
  英雄の民族的魅力の威力。
  類い稀な、詩吟や楽器演奏能力が奏功。
 愛馬の超能力もあって脱獄。
【難題克服を通じて妃獲得+敵首領の殲滅】
 妃が待ち望んでいたことの確認。
  妃の考え方についての説明は無い。
  基本は部族外からの妃の獲得。
 強引な武力ではなく、知恵で想いを実現。
  貧困者に変装して儀式に登場。
  厳然とした、婚姻の社会ルールが存在している。
  略奪婚儀を潰して奪還に成功。
 最終的に勝利者となることで大団円。

遊牧生活を考えると、いかにも感が生まれてくる内容である。英雄登場に期待する以外に、目新しいことがおきることは無い訳で。環境から考えて、知識の拡がりも考えにくいし、気晴らしの方法も決まり切ったもの以外はないだろうから、勢い英雄譚の弾き語りに精力が注ぎ込まれるのはわかる気がする。
おそらく、景気の良い音曲と美しい声が響くと、聴く人達はワクワクしてくるのであろう。その辺りは想像がつかぬが、平家物語の合戦の場面のようなものかも知れぬ。そこは諸行無常とはかなり違う描き方だから。そんな気性だと、仏教の声明より、コーランが好まれるのは自然な感じだ。
そうそう、英雄譚といっても、目が注がれているのは、あくまでも個人としての勇士。そこから視線が国家観とか世界観に拡がる様子は無い。と言うことは、イスラム圏であっても、英雄への個人崇拝が根付いていることを示しているのかも。それは教義に反するが、容認する以外になかろう。その信仰こそがアイデンティティそのものの可能性が高いからだ。我らが祖先、アルパムス・バトゥル!で、高揚する訳である。中華帝国文化圏内での、現世ご利益期待の英雄信仰とは程遠い世界と言えよう。

ただ、部外者たる小生には「ワクワクするお話」ではなかった。しかし、一度触れておくのは悪くなかろう。ユーラシア大陸中央に住む人々の心情が少しわかった気分に浸れるから。

(本) 坂井弘紀(訳): 「アルパムス・バトゥル テュルク諸民族英雄叙事詩」 東洋文庫 2015年7月15日
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