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■■■ 本を読んで [2017.6.14] ■■■

ギリシア語"動物奇譚"モノ

唐代の奇書「酉陽雑俎」を読み続けているので、気分転換に類書を読んでみることにした。

東洋文庫の今村与志雄の解説には、プリニウス[23-79年]:「博物誌」に相当するとの記述があるが、もちろん、そんな何世紀に渡って定番だった大百科事典に挑戦できる訳がない。
近刊のアイリアノス[175-235年]本の邦訳[ローマ近郊出身者だがラテン語ではなくギリシア語。]を眺めただけである。

知る人ぞ知る人物だからだ。
と言うのは、「ギリシア奇談集」[松平千秋&中務哲郎 訳 岩波文庫 2003年]という文庫本があるから。
と言うか、題名の通り堅苦しい内容ではなく、バラバラと奇譚が集められたという印象を与える本であり、それぞれが短文で註が詳しいため、適当に開いた頁からお気軽に読めるため、暇つぶしに最適だから。ギリシアにとんと興味がなくても、本好きなら読む可能性が高いのである。

今回とりあげたのは、その本ではないが、どうせ似たような類と見て眺めてみたのである。但し、ハードカバー本であり、価格的に敷居が高いのでおいそれと読める本ではない。

この本、ギリシア語の原題は「多彩な物語」とのこと。(ヒストリアだから物語ではなく、歴史ではないか。素人だから間違っているかも知れぬが。)
出版社の紹介文では、古今の名士・名将から,大食漢や大酒呑み,愚物,悪人が取り上げられていると記載されているが、小生は、英雄、名士や君子、それに哲学者や芸術家、はては同性愛者や娼婦としたい。そのような様々なクラスの人々の生活態度というか、トンデモ気質を描くことで、そのような人物が生まれる地域風土を示唆しているのだと思う。

マ、そのような気迫は微塵も感じられないワッハッハ本であるのは間違いないが。
現代的に解釈すれば、大学教員三々五々が居酒屋にやってきて、ゴシップ噺で盛り上がっているという風情というところ。もちろん、世俗の井戸端会議とは雰囲気が違い、"○○研究室はこんな気質が充満"というのが隠れたテーマなのである。
つまり、アイリアノスとはそこらを勘案して叙述した訳である。

前置きはここまでにして、対象とする本をご紹介しよう。

題名は「動物奇譚集」。
…獣,魚,鳥〜爬虫類,両生類〜虫,植物〜未確認動物の生態譚とその美徳や悪徳をコメントした本である。

「酉陽雑俎」とは、観察の視点が違うことに気付かされる。
自分の眼で見ようという意志はあったのだろうが、例えば、魚であると、漁師の言っていることを、関心がある生殖と意識の領域に絞り込んで取り上げているような感じがする。漁師は自分の観察の延長線上ということになろう。
段成式はいかにも俯瞰的に眺めており、奇異そのものを描きたい訳ではなさそうなので、どうしてもこの違いが気になってくる。(羅列とか網羅的な記述を志向していないので、それぞれの対象毎に注目点が異なるということ。それに、直接的観察を伴わない時は、観察者がどう見ているのかが想像できるように工夫しているし。)

それでは、「動物奇譚集」は何を目論んでいるのだろうか。
序はこうなっている。・・・
 研究されて来たことを、知ることは、
 教養を積み多くを学んだ知性にふさわしいことなのです。


イヤー、流石。
教養主義の鑑。

シチリア島アクラガスのエンペドクレス[B.C.493-B.C.433年]の系譜を引き継いでいるのであろう。・・・
四元素[地,水,火,風]が動因[愛/引力,憎/斥力]で結合分離/生成消滅するとの論理を提唱。
弁論術の祖と見なされ、自由精神を重んじ、権力に屈しなかったと言われている。
感覚とは外物から流出した微粒子が感覚器官の小孔から入った結果発生すると考えており、観察と経験論を重視していたことがわかる。従って、ヒトと動物には魂があり、転生すると見なす訳だ。

これ以上のことは知らないが、小生はこうした姿勢が、アリストテレス[B.C.384-B.C.322年]に引き継がれたと見る。
「動物誌」や動物論に熱心だったのは、ヒトは生物の一種であり、動植物を知ることは、ヒトを知ることでもあるという考えが根底にあったと見る。つまり、動物譚とは、ヒト代替の研究対象だったということ。(ご存知のように、"人間は理性的動物である。 "と語った訳で。)

その後、生物観察は極めて精緻に行われたらしく、教養というより、実用的観点からの書も登場している。小生は未読だが、ニカンドロス[B.C.2世紀]は叙事詩的医書「テリアカ底野迦 or 的里亜加]/有害動物対処法」を著わしているそうだ。もちろん、中華帝国にも伝わった。
(草も含め、毒薬は西域の独壇場だったのであろう。)

さらに、プルタルコス[46-127年]になると、"動物の賢さについて"、"動物は理性的である"、"理性性を用いる粗野な動物"といった著述が始まる。言い換えれば「動物はバカではない」という主張であろう。

それは、言い方を変えれば、人間同様にバカであるということになる。
雌をただただ追いかける奇妙な動物も少なくない訳で。それが原因で人にひっかけられとっつかまるモノもいる。間抜け。
でも、どうにもならないのである。

ただ、説話集的な風合いは微塵もない。と言って、科学書的な整理を図ろうという気も全くないようだ。
現代の眼から見れば、あくまでも雑学本の範疇。

(本) アイリアノス[中務哲郎 訳]:「動物奇譚集 1」 京都大学学術出版会"西洋古典叢書G099" 2017年5月15日
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