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■■■ 本を読んで [2018.1.30] ■■■

「大洪水神話」の分類

洪水神話のオムニバス的書籍と見て、安直な気分で目を通したが、その手の本ではなかった。
  目次はこうなっている。・・・
  第1章 ノアの洪水
  第2章 大洪水の起源を求めて
  第3章 世界の洪水神話を読み解く
  第4章 氷期と大洪水
  第5章 地球規模の大洪水を再考する
  終_章 大洪水が神話になるとき


洪水的大災害がどのように神話化するか考えさせるようにできており、その仮説の説明が並ぶ訳だが、なかなか鋭いのは何のためにそんな仮説を案出しており、それがどうして受け入れられたかが推定できるように書いてある点。

お蔭で頭の整理になった。
と言うか、小生的な洪水神話分類ができあがったからである。

まず「洪水神話」の定義だが、自分達が"選良の民"であることを確認するための話がある。神話と言うより、信仰の核である。
この場合、タイプは2つある。

1つは創造神による傲慢化した人間への懲罰としての洪水。当然ながら、生き残るのは信仰篤しと認定されたヒトと指名された動物のみ。「創世記」と「ギルガメッシュ」が代表。メソポタミア発祥である。
この威力は大きく、ギリシアからハワイまで、聖書伝導の影響が残っているのは間違いない。

もう1つは、インドやペルシアといった元祖アングロサクソン系の神話で、神の化身らしき動物のお告げを受けたマヌが洪水から逃れることができるというパターン。マヌはManの語源となったと言われる。

これと異なるのが、「洪水伝説」である。洪水と神の意思とは直接関係ない。

これも2つのタイプがある。

1つは、太平洋とその沿岸地域に散在する伝説。
偶然に、神や怪物を怒らせる事件を起こしてしまったので、その怒りを被った次第というだけ。偶然発生する災害による大被害を淡々と見つめるに過ぎない。
偶然性という点では全く同じだが、伝説創出途中のお話も多い。科学的なものもあれは、いかにも非科学的なものもあるが、確証があげられる訳ではなく、単なる仮説。もちろん、名目的には、伝説を生んだ大元を推定しているのだが。
著者も言うように、"その人の知的環境から、科学的世界観、宗教的世界観、どちらに染まるかは意外に紙一重"なのである。

もう1つは「対洪水伝説」。中華帝国特有であり、伝えたいのは大被害ではなく、治水事業の方。

上記のどれにも当てはまらないのが、倭国。「無洪水伝説」の地域なのである。
少なくとも、古事記には直截的な洪水被害の話は収載されていない。津波や台風で被害を受け過ぎているということか。

(本) 庄子大亮:「大洪水が神話になるとき 人類と洪水 五〇〇〇年の精神史」河出書房新社 2017年12月30日
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