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■■■ 本を読んで [2018.4.20] ■■■

伝統食主義批判

小生は時々図書館に出向き、最近の雑誌を、分野にかかわらずザッと眺めることにしている。

と言っても、立ち読みで、アッという間に完了する。

目次1秒で、すぐに、書評のページに移る。しかも、文章の尻まで読まないのが普通。(書評のネット公開は限定的なので、面倒この上ないが、こんなことをせざるを得ない。)
ところが、とある書評をしっかり読んでしまい、しばらく考えさせられてしまった。

と言うことで、"自然人類学者"本を読んでみることにした。

読後感を一言で言うなら、・・・成程!
もちろん、書評に対してで、本の主張の方ではない。
その書評だが、「暮しの手帖(2-3月号)"本屋さんにでかけて 編集部員が見つけた本"(島崎奈央)掲載。

ご指摘通り、「健康のためには伝統食を食べるべき」の主張本だったのである。
そして、"「祖先」や「伝統食」の定義は若干曖昧"というのも図星。
"一理あるかもと思わされるでしょう。"ともあったが、なかなかこのように書けるものではなかろう。秀逸。

マ、その辺りの気分を、書き留めておくのも悪くないだろうということで。・・・

"漬物+大盛ご飯+味噌汁"の食事とは、まごうかたなき日本の庶民層の伝統食。江戸期には、ご飯だけでもご馳走という人が多かったというのが実態。そんな常識を覆すような話は眉唾。
現代の「ご当地伝統食」は美味しいものが多いし、たいていは健康的食事内容と喧伝されている。小生も大好きだ。しかし、それが、過去、当たり前の食事内容だったとはとても思えまい。ミルク、卵、肉は無く、魚も滅多には庶民の食卓に上らずだった。それを、何十年もかけて、ようやく栄養状態を改善してきたというのがまともな食生活史と言えよう。

従って、なにを持って「伝統食」と呼ぶかで、評価は180度変わるのである。

鰹節をふり掛けた、出汁殻煮干し入り味噌汁ご飯を、飼い猫が食べさせられていた頃を知る人もいよう。肉食動物だから、どうしても食べ残しが矢鱈に目についたため記憶に残っているのだ。しかし、誰も、それを貧しい食事をさせているとは思わなかったのである。
伝統食礼賛とは、キャットフードでなく、そんな"伝統"の猫マンマが健康に良いと言っているようなもの。
そうそう、コレ日本では過去形だが、ネパールでの岩合ネコ君は現在進行形。しかし、そんな生活がいかにも幸せで愉しそうだった。

小生は、食事の質は、第一義的には経済レベルと生活スタイルで決まると見ている。
そして、社会史とはある意味生活困難克服史でもあり、伝統食とは、衛生状態も悪く、貧困だった時代を反映した代物。アプリオリに礼賛すべきものではない。

なにを持って「伝統食」と呼ぶかを曖昧にしたままで、その食事が健康にプラスかマイナスかなど議論できる訳がないのである。
それを知りながら、曖昧にしている本が出されているゾと言うのが、書評子の指摘という訳。

だいたい、伝統食と言っても、どの時間軸で考えているのかは、人それぞれ。
南米原産の植物を使っておきながら、それを伝統食と平然と呼ぶ旧世界の人々もいる訳で。トマトやジャガイモを旧世界の人々が食べるようになったのは、ほんの少し前のコト。歴史ある食材とはとうてい呼べる代物ではない。
しかもどちらもアルカロイド含有野菜だから、本来的にはお勧めではなかった筈。品種改良が進んで愛される食材になったのだろう。当然、それまでの伝統食を棄てた筈であるが、その態度が健康にマイナスとはとうてい思えまい。

マ、真面目な議論として考えれば、このようになる訳だが、そのようなご本ではございませんゾとも言える。

話は突然とぶが、小生は深煎りコーヒーを1日数杯飲みたくなる口。しかし、健康にプラスと考えてのことではない。そもそも、そのような話は全く信用していない。大きくマイナスになることはあるまいとは考えてはいるが。
と言っても、健康にプラスとの些末なデータ話は愉しいものである。それはある意味お遊びの世界。そんな余裕を持てるからこそ文化生活の実感を味わうことができるのである。

"伝統食"とは極めて恣意的な定義だが、だからこそ、食文化論は矢鱈に面白いとも言えるのである。

当然ながら、そこを勘違いすると大きな間違いをしでかす。

そもそも、"素晴らしき伝統食"と言っても、昔と同じ食材との保証などどこにも無い。
重金属やカビ毒等を桁違いに多く摂取しかねない伝統食材をお勧めされる方がいらっしゃるのが現実世界。
但し、一概に、それが危険な風潮とも言いかねる。薬ではっきりしているように、プラセボ効果は小さなものではないからだ。健康になると思って食べ、気分爽快で過ごせるならそれはそれで結構なことかも。

最後に、進化の話について。この本は1億年の視線で書いているそうだから。

老人になると誤嚥での肺炎が多いことでわかるように、ヒトの構造は欠陥だらけ。進化は合理的な方向に進んでいる訳ではないのだ。
しかも、進化は止まってはいないし、その方向もわかっていない。ただ環境条件に合わせた変異が発生していることだけは確か。我々が知りえるのはその程度どまり。
従って、1億年レベルの話を、現代食生活に当て嵌め、健康にプラスかマイナスなどわかる訳もない。しかし、それはそれ面白いではないか。

そういう観点で、著者お勧めの健康法には、話の筋から言って難点がある。
ご存知のように、ミルクやアルコールを受け付けないヒトはアジアには大勢存在する。そちらに進化しつつあるのかも。そうなると、少量のアルコールが健康にプラスとは言い難い。
ビタミンDを日光浴で創出する仕組みを活用すべきかもなんとも。日焼けで炎症化する過敏体質の幼児が増えていそうだから。ヒトはそちらに進化しているのかも。(言うまでもないが、日焼けに限らず、長期炎症箇所は癌化する可能性が高いことは実験的にわかっている。)

(本) スティーブン・レ[大沢章子 訳]:[食と健康の一億年史」亜紀書房 2017年10月28日
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