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2003.6.4
 
 


日本酒の衰微…

 2003年6月1日、NYTimesのアジア・パシフィック面に日本酒の話しが登場した。日本では若者に受け入れられず、日本酒市場が衰退しているとの記事である。・・・日本では、この10年程度で、ビールとワインの消費量が倍増したのに、日本酒は3割ほど減少したのである。 (http://www.nytimes.com/2003/06/01/international/asia/01JAPA.html)

 米国では輸入酒として注目を浴びているのに、母国では全く不振である。この不思議さを指摘した記事と言ってよいだろう。美味しい酒なのに、母国で不振と聞いて、驚く人も多い筈だ。

 不振の原因は、若者の味覚とずれた商品を販売してきたから、というのが記事の論旨である。
 若者が初めて酒を飲む際、安い日本酒を選ぶため、強くて臭い、とのイメージが植え付けられた、との日本の業者の発言も引用されている。
 しかし、要は、この業界は、新しい技術を使わず、知恵も出さなかっただけの話しである。

 誰が考えても、高齢者の杜氏の推奨する味が、若者の味に合う訳がない。しかも科学分析もせず、時代変化を嫌う技能者の利き酒だけで商品仕様を決める。
 このような仕組みを延々と守り続ければ、どうなるかは明らかである。

 この状況から逃れるために、カラフルなパッケージや、軽くてフル−ティな香りの商品も登場している。しかし、細かな商品が店頭に現われては消えるといった状況だ。
 試行の意気はわかるが、酒屋に新商品を並べるだけで、若者が酒屋まで行って買うとは思えない。
 不振は、当然の結果といえよう。

 要するに、日本酒業界は、「残り物は福」の道を選んだのである。伝統的手法にこだわり続ける高級酒蔵だけを残し、多くの酒造業者は低迷へと進むことになろう。

 これこそ、日本の企業文化そのものといえよう。新しいことを表面的に真似るのはかまわないが、抜本的な変身は避けるのだ。結果はわかっていても、変える気はない。
 滅びの美学である。


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