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2003.6.8
 
 


日本のアニメ文化…

 世界に冠たる日本のアニメ産業をベタ誉めする人が多い。日本の技術力と日本文化の融合であり、これこそ新産業のプロトタイプ、と語る人さえいる。
 人気取りに励む政治家や、経営実務から離れている経営幹部が、喜びそうな意見である。余りに表層的な見方なので、実務家は無視すると思っていたらそうでもないようだ。

 特に目立つのが、アニメで「日本文化」が世界に浸透した、との主張である。・・・典型例:「アニメが子供文化と位置付けられるのはアメリカであり、コミックが大人の文化として定着しているヨーロッパの違いも認識しなければならない。日本はその双方に通じる文化力を持ち、しかもその技術力の蓄積がある。加えて日本的な表現力(芸術性)がある。」(三木國愛氏 http://www.jma-jp.net/mm/bno.asp?bfile=34)

 一理ある主張であることは間違いないが、こうした専門家の論調は実務家にとって意味があるだろうか。
 そして、そもそも、「日本文化」とは何を意味しているのだろう。
 どう考えてもおかしい。

 普通の会話で、「日本文化」と言えば、伝統的なものを指す。例えば、茶道だ。
 これは、基本的に「粋」の世界である。子供が関与する余地はない。「わび」や「さび」が子供に理解できる筈がないからだ。

 アニメ「文化」と呼ぶが、茶道のような「大人の文化」とは全く関係がないのである。確かに、大人がアニメを支持しているが、日本文化を支えてきた大人とは違う。
 アニメを支えている成人とは、どう見てもアニメオタクだ。彼等を、通常の「大人の文化」の支持者の範疇に入れる訳にはいかないのである。アニメ「文化」は特殊である。

 このような特殊な「文化」を育てたのは、実は、日本社会独特の教育感といえる。子供向け商品に対する大人の考え方が、欧米とは違うのである。
 欧米では、普通は、大人が、子供にベストと考える商品を選ぶ。ところが、日本では、大抵は、子供が商品選択権を持っている。親は単なる資金源に過ぎない。(最近は、爺婆が資金源らしいが。)欧米の視点で見れば、子供が大人扱いされていることになる。

 従って、アニメ「文化」は、日本の子供が作ったともいえる。
 と言うより、子供化しているオタクが作り出した文化と見た方がよい。子供の感性を持ちながら、大人の知性も備えているから、アニメといっても内容は高度になる。当然、子供が理解できない部分が入ってしまうが、子供の感性に強く訴える作品ではある。そのため、子供も支持する訳だ。従って、芸術性と言っても、あくまでも子供芸術にすぎない。

 間違えてはならないのは、オタクと呼んだが、彼等は特別な人達ではないという点だ。
 例えば、「可愛い!」というだけで、キティちゃんだらけの部屋に住むOLはそこら中にいる。まさしくオタクだが、それ以外では、他のOLとほとんど変わらない。
 小学生の娘と一緒になって、「可愛い!」と叫びながら、高額な子供ウエア集めに走る母親も珍しくない。こちらも、極く普通の母親である。
 これは、どう見ても、大人の子供化である。

 「大人の文化」とは、このようなものではない。基本は「真剣に遊ぶ」ことである。遊ぶためには、面倒な学習が必要となる。従って、すぐに始めることができる「楽しい」ものではない。やっかいなハードルを越えてようやく参加できる。しかも、その後、遊び人同士が切磋琢磨することになる。この入れ込みで、独特なコミュニティができあがるのだ。
 そして、若者は、その文化にあこがれる、というのが、基本図式だ。早く大人のコミュニティに入りたくて、背伸びをするのである。
 同時に、このような「大人の文化」を否定する若者も登場する。アンチテーゼだから、過激である。

 ところが、今の日本は、こうした構図が成り立っていない。「大人の文化」基盤が脆弱なのだ。当然、若者の反抗文化も生まれない。
 日本の大人は、どう見ても、「大人の文化」を作る意志がない。ファッションに流れるだけである。(これこそが、現在の日本文化かもしれない。)
 つまり、若い女性が全身をブランド品で固めるのと、中年男性がゴルフに凝っているのは、同じ類の現象なのだ。両者共に、「大人の文化」とは程遠い。自ら選んだ趣味ではなく、マスコミの流す価値観に合わせて、お気軽に選択しただけのことだ。要するに、ファッションを選んでいるだけだ。

 こうした風潮に抗して、本物を狙うべき、と主張するメディアもある。「サライ」や「ラピタ」といった雑誌には、「大人の文化」を作ろうという意志を感じる。素晴らしいものが提示されたら、それに対して自分の思うところを主張し、議論する。「見識眼」こそが文化、という思想である。(http://dcc.kyodoprinting.co.jp/nonburu/interview/rapita/index1.html)
 当然ながら、「見識眼」をつくりあげるには、長時間の学習が不可欠だ。

 従って、余裕がある年金受給者が増えたからといって、本物の文化が育つとは言えないのである。

 このような文化論が妥当なら、多くの日本企業が進めている商品展開はチグハグと言わざるを得まい。
 例えば、「若者の心をつかむ商品の投入」など、見当違いもはなはだしい。スタイリッシュでファッショナブルでなければ、新しいモノをいくら投入したところで、歓迎される理由などない。
 たまたま若者にうけても、長続きするとは限らない。しかも、他の世代に受け継がれる可能性も薄い。
 アニメの成功を教訓にするなら、オタクと共に市場を開く方がましなのである。


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