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2003.7.5
 
 


失言文化…

 自民党行政改革推進本部長が、「発言部分だけとらえれば、極めて軽率な発言と言われても仕方ない。」と語った。 (http://www.mainichi.co.jp/women/news/200306/27-03.html)
 日本の政治家から、よく聞かされる言葉である。

 先月(2003年6月)1日にも、政調会長が「言葉足らずのために私の真意と違う受け止められ方をしたとすれば、誠に遺憾であると考える」と表明している。 (http://www.jimin.jp/jimin/kanjicyo/1506/150602.html)

 驚くにはあたらない。現閣僚もほんの1年前に、表現が不適切だったとして撤回し、謝罪している。(http://be.asahi.com/20020803/W13/0055.html)
 「日本国債の格付がボツワナよりも下になったけれども、・・・日本は多大な援助国である、そうした国よりも格付が下になるというのはムーディーズの格付の仕方がおかしい」・・・「正確に日本の国力を反映していない」と主張した際に、余計なことを付け加えたのである。 (http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009815420020626023.htm)

 西洋では、政治の場における差別発言はタブーに近い。このことを知らない筈はないから、過激な発言で大衆受けを狙ったのだろう。

 政治家は、どうも、偏った「愛国心」を煽ったり、派手な発言で大衆に擦り寄ることがお好きなようだ。支持を集める効果が高いから、こうした手法を乱発したくなる気持ちはわからないでもないが、危険な兆候である。
 このような体質になると、政治家には、戦略性を期待できなくなるからだ。
 まともなフレーンがついているならよいが、本当に心配である。

 実際、素人が考えても、日本の閣僚の発言より、ムーディーズの格付の方が論理性が高い。

 そもそも、ボツワナは政情が安定しており、ダイヤモンド輸出国として持続的に高成長を実現しており、長期間に渡って健全財政を貫いてきた。結果として、1割程度の債務で抑えてきた。援助があるからといって、大盤振る舞いはしない。決して無理はしない、「手堅い」政策の政権である。当然ながら、デフォルトの可能性は低いと見てよいだろう。
  (CIAのブリーフィング http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/bc.html#Econ)

 一方、日本は、国債発行GDP比率から言えば、とてつもない「重債務国」だ。その上、財政再建の見通しは全く無い。
 これで、重債務国の格付けの方を高くせよ、と主張できる根拠などあるまい。

 「愛国主義」を煽る政治家の最大の欠陥は、頭脳を使わないことである。論理で戦えないから、感情で訴えることになる。当然、失言が増える。

 しかし、こうした大衆煽動型政治家しかパトスが感じられなくなったのも事実だ。
 品性より、「言葉の行動力」がうける時代に入ってしまったようだ。


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