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2003.7.12
 
 


米国のバランス感…

 「The Road to Oceania」というタイトルの編集子の論説がNY Timesに掲載された。
  (有料 2003年6月25日 http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FA0C17FE385F0C768EDDAF0894DB404482)

 「動物農場」、「1994年」、「カタロニア讃歌」、に馴染みを覚える世代には、ピンと感じる用語だから、つい読んでしまう仕掛である。リベラル系新聞らしい企画といえよう。
 内容は、オーウエル生誕100周年記念とされ、ユビキタス型情報化社会の意味を問う、面白い主張だ。

 情報化社会が到来すれば、情報は公開されるから、社会に透明性が確保される。ドグマを信じる人は、これで理想社会が実現できると頑張る訳だ。確かに、歴史的観点で眺めるなら、民主主義が深化するのは間違いあるまい。
 しかし、これを利用しようと考える権力者の存在を忘れると大変なことになる。特に、国家の安全保障という課題が加われば、どうなるかは、「動物農場」が示す通りだ。透明性の進展は、伝統的なプライバシーが損なわれるのと、同義でもある。
 この筆者は、外交官、政治家、企業のリーダーに、この点からの警告を与えたのである。

 これに対する反応は早かった。もう現実化しているとの意見が掲載された。
  (http://www.nytimes.com/2003/06/30/opinion/L30ORWE.html)

 「Newspeak」(「1984年」の用語: 政府の役人が世論操作に用いる、故意に曖昧化させる表現方法)はあるし、政府のインチキ、ペテンは収まらず、常時戦争の状況になって、監視は強化され、市民権停止まで登場した、といった危惧感があるようだ。

 米国は、日本と違い、必ず揺れ戻しがある。2002年は、社会秩序を破壊する輩と戦う気概で満ちていたが、2003年後半に入ると、政府による個人の権利に対する侵害を許さず、という雰囲気が広がってきた。
 変化は激しく、しかも極端に動きがちなので、日本人はどうしてもとまどう。
 このため、米国への拒否反応を示す人もいるし、思慮が浅い国と見なす人も多い。

 しかし、この文化こそ、米国が世界のリーダーを続けられる秘訣ではないだろうか。

 問題が発生すれば、急いで試してみるのである。議論を尽くしたところで、やって見なければ結果はわからない。駄目だと感じたら、即、取りやめればよい、と考える。変化が早い時代には、適応力が発揮し易い仕組みといえそうだ。
 そして、この文化を支えているのが、様々な意見発表の場だ。この自由を維持しているから、バランスが取れた判断ができる。

 この精神を如実に表わしたのが、2003年6月18日付けのPBS番組における、「Patriot Act」に対する図書館司書の動きが発端になった、プライバシー議論である。
 [PBSは米国公共放送350局のネットワーク。寄付で運営しており、家庭の99%をカバーし、毎週の視聴者は1億人近い。](http://www.pbs.org/newshour/bb/law/jan-june03/library_6-18.html)

 ここでは、「爆弾製造法」の本を図書館で自由に閲覧できなくなるような規制は権利侵害に繋がるという主張が展開されている。米国では、共和党、民主党含め、こうしたプライバシー保護論を支持する議員は少なくないようだ。
 日本なら、このような意見は、発言することさえ無理だろう。爆弾に興味を持つこと自体、社会の敵以外のなにものでもない、と見なされるのではないだろうか。

 米国は傲慢な覇権国であることは間違いないが、印象とは異なり、思った以上に柔軟な点があるのを見逃すべきでない。


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