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2003.7.15
 
 


立花隆本の教訓(その1:不思議な現象)…

 「元」秘書(93年〜98年)による立花隆観察本の第2弾が出版された。(佐々木千賀子著「立花隆秘書日記」ポプラ社 2003年3月)
 「元」本分野があるそうで、たいていは唖然とするような常識外れを暴露して、耳目を集める企画にするらしい。但し、社会改革派的主張をちりばめ、正義感を醸し出す必要があるという。
 その点では、この本は異質だ。オジサンさは描かれているが、特別に驚かされる点は無いし、筆者に特別な主張があるようにも思えない。

 といっても、それなりに面白い暴露はある。ただ、アッと驚く程ではないだけの話しだ。
 ファンは、「知の巨人」の分析の秘訣がわかるかも、と期待するのだろうが、何のヒントも得られないから、ひどくがっかりするらしい。

 膨大な資料を読み漁り、最後の最後まで頭に詰め込んで、原稿締め切り直前に一気に吐き出す様子が描かれているだけだから、確かにファンには物足りないだろう。
 その上、退職理由が、金の切れ目が縁の切れ目との印象もあり、イメージも良くない。さらには、最後に、批判が記載されているから、ファンには面白くないだろう。(「分析に長けた「知の巨人」として社会に影響力を与えてきたからこそ、今度は自分自身の言葉で、自分自身の思いを明言して欲しい」と記載されている。)

 ファンのご不満はよく分かる。

 一方で、立花隆本のインチキ性を指摘する勢力も存在する。この層にとっては、「元」本特有の、暴露ネタを期待したかもしれないが、こちらも期待外れに終わっただろう。
 というより、こちらは、このような本自体に全く興味を持たないかもしれない。基本的知識の欠如を指摘した批判だから、立花隆本など読む気もおこらない筈だ。
 (谷田和一郎著「立花隆先生、かなりヘンですよ―「教養のない東大生」からの挑戦状」洋泉社2001年12月)

 立花隆氏への評価は、両極端に分かれている訳だ。政治家でもないのに、不思議な現象だ。
 よく考えると、この現象は、批判者の思い違いから発生したものとも言えそうだ。

 おそらく、知識不足からくる誤りは、立花隆本のなかを探せばそこら中に見つかる。その点では、批判者の言う通りだ。
 しかし、批判者は、はなはなだしい間違いを犯している。立花隆氏を「知の巨人」として特別扱いしているからだ。この発想は、どう考えてもおかしい。

 立花隆氏はジャーナリストにすぎない。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
 理論展開や分析を商売とする学者ではないし、ましてや教育者ではない。時代に合わせて、世間の話題になりそうな題材を上手く料理して提供する、メディア分野のプロである。
 ただ、カリスマ的で、数多くのファンを抱えているから、他のジャーナリストと一線を画して見えるだけである。(もっとも、未だに、昔のサファリルックを愛用するところを見ても、普通とは相当違うタイプなのは間違いないが。)

 ジャーナリストの記事に対して、知識不足から来る間違いを指摘した所で意味は薄い。本質的な論旨に係わるのでなければ、記事の一部に、質が悪い部分が含まれている、というだけのことである。大騒ぎする人はいまい。

 立花隆本を批判する暇があるなら、どうしてこれほどまでに読まれるか、その理由を考える方が、余程有益だろう。

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