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2003.7.26
 
 


本屋文化の終焉…

 全国で見ると、毎月、約100の書店が撤退していると言われている。
 インターネット購入が浸透した上、コンビニやキオスクが膨大な量の本を販売している。他業界の小売業も関連専門書を同時販売するようになった。
 こうしたなかで、本だけを単に並べて売るだけの小規模業態が存立できなくなるのは極く自然な流れといえよう。特に、ショピングセンターや大型店内の本屋や、郊外型書店は役割を終えたともいえる。(本来なら、本屋が他の業態を抱え込んで生き延びるべきだった、と言えそうだ。)

 ところが、最近は、本好きのコミュニティが支えていたと思われる有名書店まで閉店し始めた。2003年、文化の発信地だった銀座から名物書店が消えたのである。「老舗」近藤書店本店である。

 小説家のエッセイに登場したり、「知は力なり」のブックカバーで有名だった書店である。しかも、その3階にあった、1950年創業のイエナ洋書店も、2002年に消え去った。青山の嶋田書店や六本木の青山ブックセンターより品揃えが多い分野も多かったから、愛着を感じていた人は多かったと思うのだが、事業継続は無理だったようだ。
 自社ビルだそうだが、1階のテナントが撤退したため、書店ビジネスは支店だけ、との決定に至ったようだ。
 (http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20030314sw61.htm)

 六本木交差点角の誠志堂も閉店した。こちらは、格段の特徴はなかったが、六本木への通りすがりに立ち寄った人は多い筈だ。オーナー所有だから、何時までも続けるだろう、と言われていたが、そうはいかなかった。

 文化の拠点としての役割を果たしてきた書店が次々と消え去るのは寂しい限りだ。
 もはや、本屋でプラプラする人をお客にした商売は成り立たなくなったようだし、この文化を支えるパトロンも消えつつある。

 ニューヨークでも、惜しむ声はあれど、独立書店が消えつつあるようだ。
 (http://www.villagevoice.com/issues/0202/park.php)

 なかでも驚きは、高級ブランドショップがひしめくアッパーイースト(833 Madison Ave.)でMadison Avenue Bookshopが閉店したことだろう。
 貸せば高額な家賃収入が見込める場所だが、オーナー所有なので維持されてきた。閉店理由はわからないが、書店文化に魅力がなくなってきた可能性が高い。

 ここから数ブロック北側にあったのが、Jeannett Watson and Booksである。個性的なサロン風書店だったらしいが、1997年に閉店した。(http://www.literary.org/jwinterview.htm)
 NY在住作家Lynne Tillmanがこの本屋の軌跡をまとめたので、一躍世界に知られるようになった。
 この本の序文で、Woody Allenは「ふらりと立ち寄って店内の本を引っかきまわし、何か刺激を与えてくれるものを探すにはもってこの場所だった。」と書いている。地域住民が誇れる素晴らしい書店だったのである。(宮家あゆみ訳「ブックストア ニューヨークで最も愛された書店」晶文社、2003年:本文は一部省略されている。)
 その後、Jeannett Watsonは近くのLenox Hill Bookstore(1018 Lexington Ave.)で働き、2001年にオーナーとなった。(http://turtlepoint.com/lenox/page2.htm)

 米国でも、書籍販売店を「楽しい冒険」の場とし続けたい勢力は苦闘しているのだ。

 インターネット時代で情報は増え、バーチャルコミュニティ活動が盛んに見えるが、名物書店の閉店を見ていると、多様性が急速に減少している感じがする。多くのホームページが、政治から芸術まで取り上げているが、すべてが世間話化し始めている。インターネット時代とは、表層的な大衆文化の急速な進展を意味するのかもしれない。
 少なくとも、書籍の多様性を支えてきた「書店文化」は、日米ともに風前の灯といえよう。


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