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2003.7.30 |
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自殺問題の議論(その2:インターネット)…日本は、自殺について、情緒的な反応を反応を示す人が多いので、なかなか、まともな議論ができない。インターネットによる自殺幇助に関する報道は、この状況を端的に示したといえそうだ。 マスコミが、自殺幇助集団や、「自殺サイト」の存在をとりあげたから、大騒ぎになった。ジャーナリズムとしては、大成功の企画といえる。 一方、自称「革新勢力」は、これをインターネットの自由を奪う動きと大反撥。マスコミの横暴とえらい剣幕で怒った。 確かに、マスコミの取り上げ方は、インターネット検閲に繋がる主張だった。自殺者全体から見れば極く一部の事象を取り上げて、抑制のための規制方法に言及したのだから、危険な動き、との指摘は当っている。 しかし、日本社会の文化からすれば、「自殺サイト」は、規制を考える程の、驚愕するような事件だったことも、間違いない。 その点を無視して、検閲阻止ばかり語っても、社会の変革には繋がるまい。イデオロギーで動くのではなく、現実を見て批判すべきだと思う。 この時、冷静に対処したのは、実際に自殺を防止しようと考えている人達だけだった。 「自殺サイト」を取り上げるのではなく、インターネットを活用して、自殺防止の情報サイトや、悩める人々の相談サイトへのアクセスを増やすためにはどうしたらよいか、考え抜いていたのである。 当たり前だが、インターネットの影響には両面ある。自殺促進にもなるが、一方では、自殺抑制にも働く。どのようなものでも、必ずプラスとマイナスがある。プラスが大きければ、マイナスも大きくなる。 マイナスを抑えれば、プラスも抑えられるだけのことである。 何時の時代でも、単純なイデオロギー論争は不毛である。 こうした不毛な議論より、インターネットのメリットとデメリットをはっきり認識してもらう方が意味がある。 特に重要なのは、インターネットでは、コニュニケーション上の垣根が取り払われる点を認識してもらうことだ。 垣根が無くなれば、どうなるかは、誰にでも予想がつく。 無法地帯はそこいらじゅうにある。垣根が無くなれば、遠慮無く無法者が進入してくる。危険が増えるのは、当然のことだ。 いくら規制や検閲をしたところで、インターネットの構造から見て、無法者の進入阻止は無理である。 従って、まずは、こうした危険に対する「免疫」をつける必要がある。 少なくとも、「猥褻物ビジネス(アダルトサイトと呼ぶ)」や「売春業(出会いサイトと呼ぶ)」は、すでにインターネットに深く広く入り込んでいる。社会が容認しているからである。 おそらく、社会が容認していない「ドラッグ」や「ネズミ講」もそこいらじゅうで蠢いているだろう。 そして、「反社会カルト」や「殺人」が、入ってきても驚きではない。闇社会が現実に存在する限り、これらがインターネットに浸透するのは、時間の問題である。 自殺幇助や自殺クラブが存在したからといって、特に驚くべき現象とは言えないのである。 一見、インターネットが、反社会的勢力に活躍の場を与えているように見えるが、その見方は誤りである。インターネットのお蔭で、反社会的勢力のコミュニケーションが速くなっただけに過ぎない。浸透スピードは速まるが、浸透度が高まる訳ではない。浸透度は、社会の姿勢で決まる。 そもそも、インターネットよりは、マスコミ報道の方が自殺促進効果は大きい。マスコミが報道すれば、すぐに真似が登場するからだ。コミュニケーションパワーは、マスコミの方が大きいのである。 従って、本気で自殺幇助勢力の影響を抑えたいなら、自殺抑制勢力は、自殺促進勢力より、インターネットの効率的利用能力を高めるべきなのである。 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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