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2003.11.2 |
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裏社会化 (2:メディア)…「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」で、Fulford氏は日本のメディアの姿勢に対し、痛烈な批判を浴びせかけた。裏社会温存姿勢、と見なしたのだ。当然ながら、日本のメディアは無視し続けている。おそらく、日本を知らない人の極端な見方、と見なしているのだろう。 このような対応を続ければ、日本のジャーナリストの質が問われるのは間違いあるまい。 例えば、Fulford氏の出身国カナダと比較すれば、日本は紛れも無い報道抑圧国である。カナダの常識で判断すれば、日本のジャーナリストは、報道抑圧側に立っている、と言われてもいたしかたない。 もともと欧州文化の視点では、問題があってもメディアが報道しなかったり、情報提供差別があれば、報道抑圧が存在すると考える。そのような国は民度が低いと見なされる。従って、政治家から始まって、そう見られないように努力するのが普通だ。 一方、日本では、そのように考える人は少ない。にもかかわらず、日本社会の民度は高いと思っている。 極めて大きな文化ギャップが存在している。 どの程度のギャップかは、Reporters Without Bordersの年次報告を見れば一目瞭然である。 [Reporters Without Bordersは被弾圧記者への支援を目的とする団体。仏のラジオ記者R. Menardが1985年に設立。記者への弾圧や報道抑圧状況に関する状況をまとめる年次報告が有名。] (日本では、この手の報告を、特殊な人達のレポートと見なすらしい。おそらく、その通りなのだろう。そのため、日本では、こうした報告は異端者の意見として無視される。一方、思想の多様性を重んじる人達は、このような批判を正面から見据え、反省する。根本的な発想が違う。) ・・・日本は、先進国のなかでは、報道抑圧国なのである。 なかでも、驚かされるのは、ほんの少し前は社会主義国だった国々(ポーランド、ブルガリア、アルバニア)より悪い評価なのである。(下表参照) 旧社会主義国の報道を信用する日本人は少ないと思うが、そのような国々もすでに変身していることがわかる。 米国のマスメディアの姿勢を批判する日本人も多いが、米国の方が報道抑圧は少ない。 (もっとも、欧州でも、例外的な国もある。マフィアで有名なイタリアは日本より評価は低い。) 要するに、日本は、報道抑圧的な仕組みを温存するつもりか、問われていると言える。 海外の記者の目から見れば、日本は、経済発展だけを目指すだけで、周囲のアジア諸国同様に、報道抑制を続ける民度の低い国に映る訳だ。
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