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2003.11.25
 
 


街づくり PARCO時代を振り返る…

 コンセプト主導の「街づくり」が始まったのは渋谷公園通りが最初ではないかと思う。
 “VIA PARCO”をスローガンに、アパレル小売商業施設を中心にした、地域回遊型の街をつくりあげたのである。1973年のことだから、まさしく、一昔前だ。

 地域一帯に、PARCOビルが並んだ。ほとんどが、建築家/インテリアデザイナー/芸術化/文化人の知恵 をとり入れた施設である。そのセンスに酔いたくて、街を訪れる人が続出したのである。
 そして、理解し難い斬新な広告も耳目を集めた。広告と同時に、商店内外の改装、出版物発行、イベント/演劇等の開催を行なったから、日本の先鋭「文化」を提起する街として不動の地位を築いたかに見えた。

 実際、当時は、街のイメージだけでハイになり、買物/飲食/回遊を楽しむライフスタイルが浸透したのである。
 しかし、あっという間に風俗化が進んだ。渋谷公園通りの先端イメージは薄れてしまった。
 当然である。ファッションビルなら、全国どこでも同じようなものがあるからだ。しかも、店で売っているものは、他地域とたいして変わらなくなった。PARCOが、一般大衆化してしまった訳だ。

 とはいえ、渋谷自体は、「PARCO文化」時代から引き続き若者のメッカとしての地位を維持している。但し、雰囲気は一変したと言ってよいだろう。
 ファーストフード店、ゲームセンター、スーパードラッグ、シューズショップ、等々に大勢の若者が群がる、雑多で騒がしい街になったのである。
 「PARCO文化」時代とは異なり、コンセプトを提起しない喧騒の街に変わったのである。

 にもかかわらず、街自体は大繁盛だ。
 若者の懐をあてにして、一生懸命売りこもうとする企業集団の街になったからだ。業態・業種入り乱れ、乱雑だが、活気のある街になったのである。

 対象顧客が違うだけで、秋葉原電気街となんらかわらない訳だ。
 売られているモノとその意味付けで、街の価値が決まることになる。もはや、作り物の「街のコンセプト」を打ち出しても、見向きもされなくなった、と言えそうだ。

 そして、ここまで変わってしまった渋谷に、再びPARCOが一石を投じる。2003年、30周年を境に、「ストアbyストア」とのスローガンで、渋谷PARCOが改装されたのである。小さな路面店や個人店が並ぶ渋谷に新しい消費スタイルを構築していくという。
  (http://www.parco.co.jp/parco/corporate/pdf/annai2003_1.pdf)

  [この稿は、難波功士著「「広告」への社会学」(世界思想社 2000年)に触発され記載した。この本の「広告する空間」項で、“PARCOという催事→SEIBUという展示場→SAISONという生活様式”といった変遷が描かれている。]



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