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2003.11.26
 
 


海外からの視点…

 日本人は、日本の特殊性を描いた「外人」による日本文化論ばかり重視していると言われることが多い。
 どう見ても米国は特殊だし、英国も、フランスも、ドイツも、すべて特殊である。国の特殊性をあげつらえばいくらでもでてくるから、そのような文化論に注目して何の意味があるのだ、という批判である。

 確かにその通りではあるが、海外から指摘されるまで、知らん顔をする人ばかりだから、問題意識を持って論じている文化論は役に立つのである。
 しかし、残念ながら、役に立つ論述は目立たず、表層的な文化論は注目される、というのが実情のような気がする。

 なんと言っても役に立ちそうなのは、日本の深層を見つめようと来日した人達からの指摘である。

 典型は、Japan SocietyのMedia Fellowのアウトプットだ。海外のライターの意見だ。

 例えば、David Plotz氏の「Pachinko Nation」を読むと、日本が類稀なるギャンブル天国であることに、いまさらながら気付く。
     (http://www.japansociety.org/education/fellowship_essay.cfm?id_fellowship=1884423561)
 確かに、そこら中に派手なパーラーがあり真昼間から繁盛している。先進国で、これほど身近なところに堂々と開店している賭博場だらけの国も珍しい。
 パチンコは宝くじとは違い、貴重な時間を費やすギャンブルであるにもかかわらず、恥ずかしげもなく、パチンコ好きと公言する「インテリ」がいる社会なのだ。
 ギャンブル中毒者は100万人以上との推定もあるそうだが、中毒者を発生させても、何の問題意識を感じない人ばかりである。
 それどころか、ギャンブルを資金源にしたい自治体首長だらけなのだ。
 日本社会は、どこかおかしくなっているのかもしれない。

 Douglas McGray氏の、「Japan’s Gross National Cool」も面白い。日本文化が世界に浸透しつつある状況を「日本がスーパーパワー発揮」と皮肉っぽく語っている。
    (http://www.japansociety.org/education/fellowship_essay.cfm?id_fellowship=475559241)

 McGray氏でなくとも、初めて渋谷を歩けば、誰でもその異様な雰囲気に圧倒されると思う。そして、喧騒のなかから、雑多で旺盛な若者の消費者文化を見つけることができる。
 ともすれば、これを米国流マクドナルド文化が日本に入ってきたと見なしがちだが、グローバルに見れば全く逆で、日本文化が世界に浸透しつつあるというのだ。
 確かに、音楽、家電、建築、ファッション、アニメ、料理と、様々な領域で日本文化が輸出されている。ポケモンやキティちゃんも世界のキャラクターだし、北野武映画や宮崎駿アニメが欧米で高い評価を受けている。安室奈美恵ファンもアジア一帯に広がった。
 普通は、このような文化発信国は、強大な国家だ。ところが、日本は傾きかけている経済不調の国である。にもかかわらず、海外では、日本に「文化の香り」を感じるようだ。

 日本は、バブル崩壊で、使える金がなくなり、頭を使うしかなくなったため、文化的創造力が高まったということだろうか?


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