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2004.5.11
 
 


言志四録で感じたこと…

 連休中に、たまたま買った週刊誌に、“人気企業トップ24人 「これが私の愛読書」”(1)との記事が掲載されていた。ざっと眺めて、久しぶりに納得感を覚えた。本を介して、人となりがわかるような感じがしたからである。

 冒頭で紹介された本は、佐藤一斎の「言志四録」(2)だった。
 「仕事は天、つまり社会に仕える心でやるべきで、自分の名誉や人に見てもらうためにやるのではない」と解釈した、とのコメント付きである。
 コンプライアンス問題を制度で解決しようとの風潮が高まるなかで、まさに清新な一言という印象を受けた。

 儒教・陽明学は、悪用されれば、社会構造の固定化を招いたり、独裁者が生まれる危険性はある。しかし、生活信条として、日本人が共有してきた重要なモラルが含まれていると思う。これが、健全なビジネスの発展を支えてきたのではあるまいか。
 しかし、その良き伝統もいよいよ崩れてきたようだ。ビジネスはモラルとは別物、との風潮が主流化し、ビジネス倫理は単なる制度問題として片付けられるようになってきた。

 その象徴的数字が、2004年4月26日に発表された社会経済生産性本部の新入社員意識調査結果に現れている。
 Asahi.com の記事(3)によると、「自分の良心に反しても会社の指示に従う」と答えた新入社員は53.4%と過去最高だったという。「できる限り避ける」は40.8%にすぎない。
 しかも、この現象は厳しい就職環境の影響と記載されている。

 この現象は、生活に困窮している社会での、犯罪率の増加傾向とは性質が違う。将来の不安はあるとはいえフリーターで生活できる社会での、新入社員の信条の話しだ。就職環境で左右される問題ではあるまい。倫理より、周囲との一体感を重視する傾向が顕著になった、と見るべきだと思う。

 要するに、仲間外れを恐怖する世代が企業に入ってきたのである。

 とはいえ、もともと、この手の人は日本には世代を超えて存在している。珍しい現象ではない。

 しかし、今までは、そのような類の人が産業界のトップに上りつめる確率が低かったから、大きな問題にならなかったのである。
 かつては、日本企業では、トップには高潔さが求められていた。
 例えば、こ老体になっても、自ら歩いて研究報告会に出席することで、技術立国の志を示した人もいた。パーティ嫌いで、豪奢な生活とも無縁だったから、薄給で苦闘していた研究者・エンジニアへの思想的影響は大きかったと思う。
 又、企業が果たすべき役割を超えている、との批判を受けても、中国への技術移転を進めた人もいた。お金持ちの家の出身でありながら、研究者・エンジニアを奮闘させようと、高い目標を立て、必死に努力していたと思う。
 いずれも、単純に賞賛する訳にはいかないが、「社会に仕える心」はトップとして不可欠な時代だった。

 これが変わってしまった。
 悪辣な誤魔化しや、決断先延ばしで問題解決を避けるトップが増えたからだ。「社会に仕える」との言葉に、胡散臭さが漂うようになれば、誰も語る人はいなくなる。

 その一方で、ビジネスそのものを自分の生活の一部に取り入れて楽しむ、若い経営者も大挙して登場してきた。
 社会思想の転換期といえよう。

 実は、最近、ブログを見ていて、その感を深くした。「見ろ、見ろ」と推奨する人がいるので、あるベンチャーの社長のブログを2週間分ほど眺めてみた。確かに一見の価値はある。
 毎日のように、食事処の名前や行きつけの飲み屋の場所が記載されている。他社の社長と会ったとか、役員会出席といった、仕事関係のスケジュール話。あとは、休みに、疲れをとりにマッサージに行ったとか、家で流行の映画を見た、自転車をこいだ、買い物に行った、等々の簡単な報告。・・・このような話題が延々と続いている。これを「読んで」楽しい人が溢れていることがわかる。
 おそらく、これが現代文化だ。

 旧来の文化で生活記を書けば、180度異なるものができあがると思う。会合そのものではなく、そこで受けた知的刺激が嬉しくて、話しの内容や、感銘した思想や態度などが記載されるのが普通だ。映画視聴に長時間かければ、様々な感想を書きつらねると思う。

 このブログは正反対である。
 「会合があった。時間がかかった。いろいろな人がいた。しばらくぶりに会った。」「映画を見た。時間がかかった。」がメインの情報である。
 その先の記述はできる限り避け、できる限りデータだけを伝えるようにしているようだ。
 想像に過ぎないが、会った人を示すことで、自分が属するコニュニティの雰囲気を伝えているような気がする。忙しいなかで、自分もその映画を見たぞ、と告知することも、仲間作りには結構重要なことかもしれない。

 ブログを読む人は、この社長と類似の生活スタイルを追求していたり、価値観を共有している訳だ。当然、このコミュニティに参加してくる。活動はさらに活発になり、そこから様々なビジネスチャンスが生まれる、という好循環の構図が作られているのだろう。

 今のままなら、この流れは奔流化すると思う。
 その結果、「言志四録」はビジネス界から忘れ去られるのかもしれない。

 --- 参照 ---
(1) 週刊文春2004年4月29日/5月6日号(ゴールデンウイーク特大号)の記事
(2) 江戸幕府末期(黒船時代)、御用学問所(湯島聖堂)の儒官が書き下ろした思索ノート(4冊)である。
  小泉首相が「重職心得箇条」を当時の田中外相に手渡したため、佐藤一斎の名前が広く知られるようになった。
  しかし、1980年代の方が、知られていたように思う。
  内容は、封建時代の書であるから、民主主義とは無縁だ。しかし、精神主義ではない。
  古典を紐解き教訓を語るのでもなく、自己の思想を主張する訳でもない。
  あくまでも、人々を働かせ、社会を動かすための、エリート向け「実学」という点が特徴の、行動哲学書と言える。
(3) http://www.asahi.com/job/news/TKY200404260217.html

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