↑ トップ頁へ

2004.6.11
 
 


ヒットしそうな日本画…

 海外で「日本の絵画」と言えば、歌麿・写楽・北斎の浮世絵が必ず引き合いに出される。
 浮世絵も悪くはないが、日本の代表的美術、と素直に同意する気にはなれない。さりとて、水墨画や仏画も、中国の影響下にあるような感じがして、違和感を覚える。

 といっても、日展、院展、創画会といった「組織」推奨の絵画が日本の伝統を受け継いでいる、という感じもしない。そもそも、海外の美術館の展示作品に、現代日本画が選ばれることが少ないようだから、印象が薄い作品が多いのではないかと思う。
 素人が見ても、主流となっている日本画は力強さに欠ける感じがする。
 しかも、日本の伝統的美意識を反映していると説明されても、なんとなくしっくりこない。これぞ日本画、とは感じさせない作品が多いのである。

 実際、我々が目にしている現代日本画は、伝統を引き継いだものではなく、人為的な流派が作り出したものらしい。急激に流入した西洋画に対抗して、伝統を引き継ぐ様々な流派の技法をまとめたのだという。伝統とは異なる美、洋画とも異なる美、を追求した結果だから、当然かもしれない。
 このことが広く知られるようになり、「日本画家たちが花鳥風月や雪月花といった画題や、それに象徴される美意識の正統性を疑い」始めているそうだ。(1)

 もっとも、現代日本画の発祥が人為的であったとしても、それ自体たいした問題ではないと思うが、日本画の良さが曖昧になっていることは確かだと思う。
 花鳥風月を画題にする意味がはっきりしなくなれば、日本画の特徴とは、高価な特殊画材の使用と、装飾技法だけになりかねまい。日本画は、今、こちらへの道を歩み始めているのではなかろうか。

 花鳥風月の良さとは、繊細な感覚で、写実の極みを尽くすことではないかと思う。
 あくまでも自然をテーマに、微妙な色や独特な形にこだわることで、美の本質に迫る訳だ。こうした努力の結晶に透明感を感じるから、日本人の心に染みるのではないだろうか。
 日本画には、日本人の自然観が凝縮されているような気がする。
 ところが、この自然観が希薄化して来たようだ。このため、これこそ日本画、と感じるものに出会えなくなって来たのだ。

 とは言うものの、インパクトが強い日本画も生まれている。
 2004年6月6日まで堀文子展が開催されたが、こうした堀作品を眺めると、日本画の花鳥風月伝統を受け継いでいるような気になるから不思議である。

 堀文子氏は、82才になってから、ヒマラヤの高山地帯に咲く「幻の花ブルーポピー」に魅せられ、1人でスケッチブックを携えて登山した方である。(NHKテレビプログラム「ヒマラヤ・高き峰をもとめて」で有名になった。)
 「何人にも支配されない真の自由を求めて画家の道を志し」たため、師弟関係による縛りもないし、画風も自由奔放そのものだ。対象も花鳥風月にこだわることなく、様々である。

 自由な作風で、伝統とはかけ離れているのだが、その感覚は日本画そのものだ。(2)
 堀作品を見て、こんな感覚に陥るのは、最近の画に、覇気が感じられなくなったせいでもある。

 日本での画家への道がエスカレータ型になっている弊害と言う人も多いようだが、現状を見る限り、説得力ある説である。

 画家を目指す若者は、先ずは大学入試突破のため、実技力量向上に励む。ここまででも、相当やっかいだから、個性が磨かれる機会を失っている気がする。
 次ぎの難関は公募展入選だ。大学では、これを目指して研鑚することになる。師匠の流れを受け継ぎながら、自己の独自性を出すのだ。狭い領域での熾烈な競争に晒されるから、じっくりモチーフを暖めている状況には無いようだ。
 競争を勝ち抜き、認められるようになったら、団体に属して、地道な活動を続けることになる。特別な賞を頂戴するまで頑張り続ける。名が通るようになってきたら、いよいよ美術展開催となる。
 ここまで来ると、地位は保証されるも同然だ。画商扱いは定着する。日本における絵画価格は、市場価格というより、画の「面積」単価が作家毎に設定される公定価格制度に近いので、単価も自動的に上がる。
 黙っていても、絵は買い上げてくれるから、無理をせず、年間指定枚数を描けばよい。そうすれば、年とともに、「大家」に昇進する。
 こうして、巨匠の地位に上り詰めたら、壁画への挑戦となる。

 いつしか、このようなエスカレータ型お家制度的な仕組みができあがってしまったようだ。
 これは、どう見ても画家が嬉しい仕組みではない。おそらく、日本の絵画市場の歪みがつくり出したものである。収集家や絵画鑑賞好きが市場の主流ではないのだ。昔の株式市場のように、政治と仕手筋が横行している可能性が高い。

 この状況を変えるには、絵画市場にもっと一般人が入ってくる必要があろう。といっても、日本にはパトロンになれる人は余りに少ない。普通の家庭の絵画購入を促進する以外に手はあるまい。
 それは、難しいことではないかもしれない。
 家の居間に堀作品が欲しい、と考える女性が急増しているのは間違いないからである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/archive/news/2004/04/06/20040406dde014070047000c.html
(2) http://www.newotani.co.jp/group/museum/exhibition/hurihumiko/index.html

 文化論の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2004 RandDManagement.com