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2004.8.4 |
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家族構造の変化…若者に仕事(学業)にうちこみたいから結婚しない人が増えているという。結婚すると行動や生き方が束縛される上、家族扶養の精神的負担が加わると考えているからだ、とされている。 一見、功利主義的に聞こえるが、社会のしきたりにとらわれず、自分のしたいことを追求する人が増えているとも言える。 2002年の調査(1)を見ても、「生涯、独身で過ごすというのは、望ましい生き方ではない」に反対する割合はすでに約半数に達している。(49.3%) 一方、事実上結婚していても、法的婚姻に特段のメリットがないということで、婚姻届けを出さない人もいる。周囲から認められないので、同棲している訳ではない。 こうした姿勢にはまだ賛同者は少ないとはいえ、「男女が一緒に暮らすなら結婚すべきである」に四分の一以上が反対している。(26.6%) 子供作りに関しても、結婚とは繋がらなくなってきた。 「結婚したら、子どもを持つべきだ」に対する反対者は2割を越えている。(22.4%) よく知られているように、子供は欲しいが、結婚はしたくないので未婚の母の道を選ぶ人もいる。 一昔前なら、子供がいるから離婚できないと考える人が多かったが、今は、子供の将来を考えて、離婚すると語る人も多い。結婚と子供の関係についても、様々な意見があるようだ。 実際、先日、タレントの離婚発表があったが、結婚は解消するが、子供がいるから同居を続けるという。
とはいえ、専業主婦を目指す人のマイナー化ははっきりしている。 多様性を許容する状況が進んでいるのだ。 これを、個性化、多様化、の流れと見ることもできるが、ビジネスマンのリアリズムの視点で見ると、起こるべくして起きた変化のように思える。 昔は、故郷と家を背負って、お国のために「主人」が一心に働いた。家族はこれを支え続けたのである。国が発展すれば、家庭生活も充実すると考えて、全員が一丸となって動いていた訳だ。 ところが、お国が崩壊したため、この構造が消えてしまう。 「主人」は、年功序列型の仕組みのなかで、生活のためにがむしゃらに働かさざるを得なくなる。こうなると、故郷と家のために働く感覚は急速に薄れる。企業の発展を目指して、同僚と切磋琢磨する生活が第一義的な位置付けになる。結婚して、家を持てば社会人として一人前、という流れができあがり、旧来の「家制度」の影響力は急速に薄れる。 このなかで、家族は、「主人」の会社生活の邪魔にならないよう、独立した運営に徹することになる。 従って、専業主婦といっても、戦前とは全く違う。家庭のマネジメントは主婦の役割になったのである。 そして、これからは、年功序列や終身雇用という労働環境が消える。そうなると、「主人」が稼ぐというパターンが成り立つとは限らない。 例えば、「主人」の職業がフリーターなら、家族の果たす最大の役割は住居提供になるのではないだろうか。住居共用者なら、結婚は要件とはいえなくなる。夫や妻でもよいが、親でもかまわないし、友人、恋人かもしれない。離婚した相手との同居続行もありえる。 これからは、仕事に応じて、家族関係がデザインされることになるのではないだろうか。 そうなら、様々な業種・業態が登場しつつあるから、家族構造は益々多様化することになろう。 --- 参照 --- (1) http://www.ipss.go.jp/Japanese/doukou12/doukou12.html (2) http://www.ipss.go.jp/Japanese/doukou12_s/doukou12_s.html 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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