↑ トップ頁へ

2004.12.2
 
 


大禅刹の寛容度

 相国寺の塔頭、慈照院(1)には、千宗旦の四畳半下座床の有名な茶室がある。

 この茶室には、江戸時代から「宗旦狐」の伝説が伝わっているそうだ。そして、このお狐さまが、小さな祠に祀られている。鐘楼の北側にある宗旦稲荷である。(2)

 この寺には、鎮守さまも祀られている。八幡神社である。(3)

 禅宗が神道の同居を認めているのである。

 もっとも、この程度は序の口で、通天紅葉で有名な東福寺には、三門のそばに、鎮守社として、石清水、賀茂、稲荷、春日、日吉の五社神が祀られている。五社成就宮(4)である。

 訪れるとわかるが、そこには「魔王石」も祀られている。名前から判断すれば、寺院創建以前の信仰対象と思われる。おそらく、恐ろしい力を発揮する岩だったのだろう。
 この禅寺には、自然霊も同居しているのだ。

 一方、大徳寺の塔頭、瑞峯院では、キリスト教の同居を図っている。

 といっても、もちろん信仰そのものではなく、「閑眠庭」(5)と名付けられた、枯山水風の異色の名庭のことである。
 ここには、キリシタン灯籠が設置され、自然石が十字架状に配置されている。
 この庭は、古いものではない。開創400年を記念し、重森三玲氏が設計して、1962年にできあがった。戦国の世に平和を求めて、この禅寺を創建した大友宗麟の思いを表した作品である。

 宗麟といっても、名前を思い出せない人が多いと思うが、伊東マンショの少年使節を派遣したキリシタン大名と言えば、思い出すだろう。
 室町時代、禅宗は神道だけでなく、キリスト教とも仲が良かったのである。

 こうして見てくると、禅宗の他宗教に対する寛容さは、特筆に価すると思う。

 そして、この寛容の精神は、時の政権の支持を失った宗教に対しても、保たれているようである。

 妙心寺の塔頭、春光院には、豊臣秀吉のキリシタン禁止令で取り壊された南蛮寺の遺鐘が保存されている。この鐘には、十字架、西暦年号1577、イエズス会の紋章IHSが陽鋳されているので有名である。(6)
 よく残っていたものである。
 鋳潰そうとの企ては何回もあった筈だが、それをさせず、ずっと匿っていた訳だ。
 禅宗の寺が、弾圧された宗教の遺品を、大事に保管し続けていたことは間違いない。

 宗教対立が目立つようになって久しい。お蔭で、世界中で紛争が勃発している。
 今や、互いを認めるのではなく、排他主義ばかり目立つ。

 大禅刹が見せてきた、こうした寛容の心が、今後も続いて欲しいものだ。

 --- 参照 ---
(1) http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/tatcyu/jishoin.html
(2) http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/guide/sotan.html
(3) http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/guide/chinju.html
(4) http://www.tofukuji.jp/index2.html
(5) http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/niwa/119.html
(6) http://kaiwai.city.kyoto.jp/sightdb/sight-raku/view_sight.php?InforKindCode=10&ManageCode=9000350


 文化論の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2004 RandDManagement.com