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2004.12.17 |
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冬の日“季節は冬至に間もなかった。”“歳暮の町には餅搗(もちつ)きの音が起こっていた。花屋の前には梅と福寿草をあしらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。” “青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。・・・ 「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」” 梶井基次郎著 「冬の日」の一節である。(1) 結核に侵され、母を想い、せつなさで一杯の主人公が、日没時の美しさを見つめている様子が描かれている。 これだけのことなのだが、読者の感情を揺さぶる。 一寸前までは、師走になると、こんな感情を共有できたような気がする。 おそらく、冬至のお参りは、そのような気持ちに応えた慣習という意味もあるのだろう。 古くは、冬至は暦の始まりだったようだし、疫病を払うための風習が続いてきたようだ。(2) 儀式と実用性が絡んだ冬至節行事だが、柚子をお金の融通と読み替えたりするなど、時代に合わせて、この行事は受け継がれてきた。 と言う事は、21世紀の時代感覚に合わせた行事もあってよいのでは、と考えていたら、現代的な冬至節のイベントが企画されていることに気付いた。 しかも、ファッショナブルな地域、キャットストリートでも行われる。(3) 冬至文化は見事に継承されている。 --- 参照 --- (1) http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/417.html (2) http://www.cca.gov.tw/Culture/Arts/cyears/b239/ (3) http://www.candle-night.org/2003winter/event/tokyo.html 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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