↑ トップ頁へ

2005.2.23
 
 


仏壇離れは無い

 2002年の仏壇市場は2,705億円と推定されているらしい。このうちの7割が、安い仏壇だという。(1)10年程度は買い替えないないのだろうから、ほとんどの世帯が仏壇を置いている勘定になろう。

 宗教離れが加速化していると言われている割には、仏壇離れは発生していないようだ。

 最古のお仏壇は法隆寺の玉虫の厨子と言われており、仏壇の歴史は古い。
 ただ、普通の建物のなかに仏壇が入ってきたのは、室町時代らしい。書院造りが登場し、床の間に仏様を祀るようになったのである。掛け軸は仏画、花飾りは仏事用具に由来している訳だ。

 初期は、有力者の習慣だったが、次第に一般家庭にまで浸透したのである。

 しかし、この流れだけを見ていると、仏壇における、お位牌の位置づけがはっきりしない。

 お位牌は、もともとは、一般家屋における氏神・祖先霊を祀る神棚だったようだ。仏教と神道の融合で、仏壇にお位牌が入って来た模様である。
 その結果、最終的に、「遠い先祖をまつる神棚と、近い先祖をまつる仏壇」(2)という住み分けになったらしい。

 要するに、家のなかに寺院の箱庭をつくり、そこで仏様と近親者の霊を祀ることになったのである。崇拝対象は、仏像と位牌だ。
 このような宗教は、世界でも稀ではなかろうか。

 他国の人にこんな話をすれば、日本の家庭のほとんどが、自宅で偶像崇拝と霊信仰を行っていると受け取られる。おそらく、アナクロニズム的な印象を与えるだろう。
 しかし、日本で育っている人にとってみれば、何の違和感も覚えない風習である。この感覚はどうして生まれるのか、一度じっくり考えて見るとよい。

 現実に仏壇にどう接しているかを見れば、その理由は、はっきりとはわからなくとも、想像がつく。
 祖先や我々が生きている世界への感謝の気持ちを素直に表現しているように思えるからである。

 そうなるのは、極く自然なことかもしれない。

 というのは、もともと、「お仏壇は・・・、お浄土をこの世であらわそうとした」(3)ものだからだ。
 つまり、生々しい日常生活と異なる、美しく清らかな世界への入り口が仏壇なのである。

 仏壇を拝むということは、偶像崇拝というより、理想世界に接することである。つまり、自らも美しく清らかにありたいとの自省の念を持ち、心を穏やかに保つ訳だ。
 従って、お仏壇へのお供とは、理想世界の仏様方に対する感謝を表す。感謝の念を通じて、自らの心を美しく清らかに保とうと考えていると言ってよいだろう。

 お仏壇は、寂しさや悲しみの象徴ではなく、光輝く世界に生きるべく、生きる活力を頂戴する場なのだ。

 こうした感覚が受け継がれていく限り、仏壇離れが進むことはないと思う。

 --- 参照 ---
(1) http://webnews.asahi.co.jp/you/special/2004/t20040318.html
(2) http://www.kuyou.com/about/yurai.html
(3) http://www.kuyou.com/qa/show/d200012270001.html


 文化論の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
    (C) 1999-2005 RandDManagement.com