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2005.5.2
 
 


京料理異論

 医食同源とか、地産池消といった言葉は誰でも知っている言葉だ。どちらも、日本由来の発想ではない。
 ところが、京都の食にはもともとこうした考え方が入っていると語る人がいる。

 本当かいな。

 京都は食についても、雅を尊んでいた土地柄だと考えてきたのだが。
 食材にしても、北の海から昆布を取り寄せたり、遠距離の食材を使う工夫をしてきたのではないかと思う。
 どうも、巧みな宣伝が行われているような気がしてきた。

 実際、至るところで、ステレオタイプの京料理の歴史が語られている。

 その結果なのかは、はっきりしないが、2002年から2004年にかけて、京料理は時流に乗った感がある。
 今や、関西なら京料理という雰囲気ができてしまったようだ。

 そこで、ステレオタイプの見方に抗して、京料理の見方を書き留めておこうという気になった。
 あくまでも、素人の話として読んで欲しい。

 日本料理のルーツは神道である。
 遣隋使を派遣したり、日本の国家体制をつくりあげた推古天皇は、もともとは食事の神様「豊御食炊屋姫尊」だ。
 このことは、神道にとって、食事を作ることが極めて重要であることを意味していると思う。つまり、料理とは祖先を敬う重要な儀式なので。先ずは、この点をおさえておくべきである。

 従って、伝統料理は、慣わし(格式)と決まり事(形式)を重視せざるを得ない。要するに、料理とは公式行事なのである。日程や式次第を厳格に決めた重要が儀式だった。
 これに対して、普段の食事とは生きるためのもの。これは、階級に関係なく貫かれた原則だと思う。
 簡単にいえば、日本では、神酒に付随する神饌に「料理」の原点があるとの見方である。

 これを当時の政権が定式化したのが、御所の有職料理や、公家から権力を奪った武家が始めた本膳料理と言えよう。料理といっても日々の食事とは違い、公的行事だから、料理担当部署が編成される。それが流派として今も残っている訳だ。

 これらの料理が今も続いているかの如き話があるが、それは技法のことだろう。千年続いている上流階級を自負する家は別だろうが、儀式としての料理は、ほとんど廃れていると見るべきだろう。この伝統を維持しているのは、天皇家の行事食だけではなかろうか。
 形式に従うことを強要される上、現実の社会構造を考慮せずに、格式を重視するのだから、この料理の伝統を維持することには無理がありすぎる。
 但し、廃れたといっても、形式を重んじる行事食には、この伝統の影響が強く残っている筈だ。何らかの形で受け継いでいるのは間違いあるまい。

 神話をルーツとする「形式重視型」料理に対して、新しく現れたのが、「思想重視型」料理である。言うまでもなく、禅宗のことである。
 と言っても、おそらくは、最初は「形式重視型」料理の枠内だったと思う。神と同じように、仏に供える料理があった筈だ。厳格な式次第があったと思われる。
 しかし、食事の場を通じて思想を浸透するとの考え方が入ってきたから、状況が一変した。これが、寺院で供される精進料理である。仏様に奉げる料理ではなく、生身の人間が、禅の思想を感じながら食事をするための料理になったのである。
 その後、茶の湯の思想が生まれ、懐石料理に結実した訳である。

 精進料理や懐石料理が思想を伝えるための料理だとしたら、本来は日本全国に素晴らしい料理屋がある筈だ。京都だけに集中する筈がなかろう。
 集中しているのなら、思想は京都から広がらなかったことになる。精進料理や懐石料理に本場があるとは思えない。

 一方、こうした系譜と全く違う料理がある。
 経済的交流の必要性から生まれた料理である。制度や思想に依拠せず、社会的な実用性から発生したものだ。
 多分、最初は豊かな商家のもてなし料理から始まった筈だ。それが、町衆寄り合い宴席での料理につながる。たまたま、こうした集まりが茶会を兼ねていたから、懐石的な風合いになったと見てよいだろう。これが、会席料理のルーツだ。
 さらには、町会所への仕出し料理も必要となろう。経済圏が広がれば、街道宿場町に交易を円滑に進めるための宴席用の地場料理が生まれる。
 どれも、基本は交際のための料理である。

 簡単に言えば、商業が生み出した料理である。
 ということは、その中心は、すぐに大阪へと移ったと見なすのが妥当ではないだろか。

 このように考えてくると、有職・精進・懐石(会席)料理が京料理繁盛の牽引車とは思えないのだ。
 必然性が感じられないのである。

 それでは、京料理は何故繁盛しているのか。

 実は、これ以外の料理がベースになっているのではないだろうか。見かけは、有職・精進・懐石だが、本質は違う料理だと思うのである。
 そんな料理は2つある。

 1つ目は遊興の料理である。
 芸妓・舞妓の芸を愉しむための肴だ。お茶屋料理や花街の仕出し料理である。料理は遊興の中心ではないが、楽しみを増加させる。このノウハウが京料理に受け継がれているのではなかろうか。要するに、観光用食である。但し、階級社会だから、閉鎖的なものになりがちではある。言い換えれば、お客様の品格に応じた料理を提供するスタイルの食になる訳だ。

 2つ目は食の楽しみを提供する特別料理である。
 京都は、日本で一番早くに成熟した社会を作り上げた地域でもある。上流階級が外食を愉しむ習慣を作った土地だ。この伝統は今に受け継がれていると思う。
 楽しみ方は色々だが、京都人が見つけた楽しみは、少なくとも3つある。
  ・独占的食材(川魚、山の幸、加工食品)を入手できる料亭だけが提供する“風物”料理
  ・“一子相伝”型創作料理
  ・包丁技術を楽しむ“板前”割烹料理

 例えば、川魚獲り独占権が名物料亭を育てたのだと思う。又、美味しい豆腐を作る店があれば、その豆腐を独占的に使う料亭が繁盛したということだろう。
 現代でいえば、入手しづらい、特殊な農水産物を用いた料理をウリにするようなものだ。

 よく考えれば、食道楽の大阪がこの分野の先端を走りそうな気がするが、大阪は、こうした点をウリにした宣伝を嫌う文化があるのではなかろうか。お陰で、さっぱり目立たない。

 京都は自らの特徴を生かして、京料理のイメージを上手く作り上げてきたと言えそうだ。

 実は、そんなことができたのは、庶民が外食を嫌いだからではなかろうか。

 大阪や江戸は進んで外食に向かったが、京都は正反対だったと思う。
 つまり、京都は、大衆向けの大量販売型の食堂事業に向かない土地柄なのである。その換わり、独自色を出した高級品の少量販売は成り立つ。

 こうした見方で京料理を眺めれば、京都地方の家庭料理、京町方のおばんざい料理が流行る理由も見えてくる。この料理は、おそらく純粋な内食ではない。
 外食を嫌うということは、内食のやり取りがあった筈である。おばんざい料理とは、外食が少ない町の住民の中食と見ることもできる。
 全国的に中食が増えてくれば、そのコンセプトに乗り易いおばんざい料理に人気がでるのは、当然の流れだろう。

 ということで、素人の勝手な説を展開してしまった。

 おことわりしておくが、じっくり調べて書いた訳ではない。誤解や偏見が含まれている可能性もある。
 「京料理」を題材にして、こうした見方もできる、と提示してみたかったのである。

 ビジネス展開のヒントにでもなればよいのだが。


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