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2005.7.13
 
 


川端流和服の美学

 川端康成の小説は中学生の頃に盛んに読んだ記憶はあるが、ほとんど印象が残っていない。その後は、縁遠い。

 ノーベル賞受賞(1968年)で騒がれた時も、「美しい日本の私」という言葉に、ほほう、といった程度の感慨しか湧かなかった。
 なんとなく、現実感覚から遊離した美しさを追及しているような気がしたからである。

 そう考えた理由は単純である。
 淡々と進むストーリーの割りには、感傷的な雰囲気を醸し出すシーンが多すぎるからである。お陰で、次々を情景が浮かんでくるが、そのうちお話が終わってしまう。ダイナミックな流れが感じられないから、読後の充実感が薄い。

 もっとも、そこが美しさの根源とも言えそうだ。
 しかしながら、この美しさを理解するには、審美眼が必要だろう。そこまで力がないと川端作品は、女優が映える作品で終わってしまうかもしれない。

 しかし、だからこそ、人気が続いている。2005年も、テレビで「古都」が放映された。(1)

 『古都』(2)は、捨て子から育てられた、京呉服問屋の一人娘、千重子が主人公の小説である。結婚を目前に控えた、大切に育てられたお嬢さんという設定である。

 着物姿が目に浮かぶようなシーンが連続している作品だ。

 父は、かあてん(カーテン)のさらさ(更紗)を切って、「こいで、千重子の帯に、ええやろ。」(253頁)という。嵯峨の尼寺へしめて行った帯の話である。
 更紗の異国情緒の色彩感覚が、突如、呼び覚まされることになる。

 母は、「無形文化財、(人間国宝)といふのどすか、小宮さんの江戸小紋な、あれかて若い人が着ると、かへってよううつつて、めだつのどつせ。すれちがふ人が、振りかへって見ていかはります。」(267頁)と語る。
 その通りである。もともと、幕府から豪奢を禁じられたから、地味だが趣味が良い一級品を作りあげたのが江戸小紋である。

 龍村はんを「あら、外人向きの店やで……。」(375頁)とみなす。
 まさに和服一筋の一家を彷彿させる発言である。

 ハイライトは出会いのシーンである。
 ある日、千重子はややくすんだ紫のお召を着て、北山杉の村に出かける。
 「地味なきものが、みどりのなかで、千重子さんのきれいさを、よう引きたてる。派手なん着やはつたら、それもまた、あざやかよろけど……。」(298頁)
 高級な、西陣のお召縮緬できめてきた訳である。

 そして、“その娘は、紺がすりの筒袖に、たすきをかけ、もんぺをはき、前だれをしめ、手甲をはめ、そして、手ぬぐいをかぶつてゐた。”(299頁)
 いたって素朴ないでたちの仕事着姿の瓜二つの娘に出会うのである。

 後日、双子の妹、苗子であることがわかる。
 複雑な人間模様がくりひろげられ、秀男が織った帯は苗子に贈られる。
 「ここが、おたいこで、ここらあたりが、前のつもりどすけど……。」(388頁)
 京に入るつもりのない苗子だが、美しい和装にはウキウキするのである。

 “漆呉服、白生地、縫取縮緬、一越、綸子、御召、銘仙、裲襠、振袖、中振、留袖、錦襴、緞子、高級別染、訪問着、帯、裏衣、和服小物など……。”(430頁)

 まさに和装のオンパレードである。これが分かっていないと、川端美学はなかなかわからない。

 要するに、『古都』とは京絵巻なのだと思う。ストーリーは出汁にすぎない。海外では理解しがたい美学と主張するのはわかる気がする。

 『雪国』(3)でも、同じ手法が使われている。

 “着つけにどこか藝者風なところがあつたが、無論裾はひきずつてゐないし、やわらかい單衣(ひとえ)をむしろきちんと着てゐる方であつた。帯だけは不似合に高價なものらしく、それが反つてなにかいたましく見えた。”(19頁)
 都の芸者は和服のファッションリーダーであり、そんな世界を良く知る粋人が見た姿である。

 “派手な帯が半ば山袴の上に出てゐるので、山袴の蒲色と黒とのあらい木綿縞はあざやかに引き立ち、めりんすの長い袂も同じわけで艶めかしかつた。山袴の股は膝の少し上で割れてゐるから、ゆつくり膨らんで見え、しかも硬い木綿がひきしまって見え、なにか安らかであつた。”(47頁)
 和装の着こなしの美意識が語られている。着ている人の人となりが見えてきたりするのである。

 そんな和装の話で一番重要なのは、雪晒しの話だろう。

 “雪のなかで絲をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上に晒す。績み始めてから織り終わるまで、すべては雪のなかであつた。雪ありて縮あり、雪は縮の親といふべしと、昔の人も本に書いてある。”(122頁)
 これこそが雪国の本質である。

 “自分の縮を島村は今でも「雪晒し」に出す。”(123頁)
 島村は都会の粋人なのである。

 そして、駒子に惹かれて行く。
 “翌る朝目をあくと、駒子が机の前にきちんと坐って本を讀んでゐた。羽織も銘仙の不斷着だった。”(93頁)
 二人の気持ちが、銘仙の羽織から読み取れるのである。

 そして、雪中火事で人が落ちるラストシーンにも印象的な記述がある。
 活発な葉子に惹かれている“島村は葉子の顔と赤い矢絣の着物を見てゐた。”(139頁)

 今や、このシーンの情感がわかる人は稀ではなかろうか。

 --- 参照 ---
(全般)
 文学ファッション研究会著「むかしのおしゃれ事典」青春出版社 2005年5月を読んで考えさせられて記載した。
 ・・・正直にいえば、2005年6月14日に開催された「Scena D'uno 和装コレクション」のウエブを見て感じるところがあったからである。
    http://www.kuraudia.co.jp/news/a.html
 ウェディングでの正装たる黒留袖や色留袖、あるいは三つ紋の色無地というのは、よく考えれば家の格式を示すものでしかない。
 神田ウノ氏の考えるハウスウエディングは従来型「家」の儀式を取り払うものである。新婦の服装の意味は、伝統の維持ではない訳だ。
 和装で参加者を愉しませることへとウエイトが移ってきたのだ。自分が楽しいから、参加者も楽しくなるという基本に忠実といえよう。
 川端美学では、このような和装はどう位置づけられるだろうか。

(1) http://www.tv-asahi.co.jp/koto/page/gallery.html
(2) 「古都」[1962年 新潮社] 引用は川端康成全集第十八巻 新潮社 1980年
(3) 「雪国」[1936年 創元社] 引用は川端康成全集第十巻 新潮社 1980年


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