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2005.9.13 |
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幼女モノからの脱却を急げ筆者は、何年もの間、長編漫画を読んだことがない。細かく描いた絵を見たとたん、それだけで疲れてしまい、先に進まないのである。興味以前の問題である。 政治や経済に関係するお話をストーリーに絡めた作品も目につくようになったが、こちらも読む気にならない。 お堅い話を漫画にするセンスが嫌いという訳ではない。全く逆である。このような話題を茶化さず取り上げると、高度な内容になると勘違いしているようなので、嫌いなのである。 もっとも、こんな感想しか浮かばないのは、面白いマンガを読んだことがないからかもしれない。 養老孟司氏は「マンガとは、かくも多くの情報を操り、読む者の脳に大いなる働きを要求するものか。」(1)と語る。だ。マンガお奨めの言である。 高橋留美子作品(2)はすべて読んでいるそうだ。 この作品には、言葉遊びもあり、奥深いというのである。そうかも知れないという気にさせられれた。 要するに、マンガ全体を一括して見るべきではないということだ。 そんなことを語りたくなるのは、コミック誌やアニメゲームに幼女モノというジャンルがあるからだ。 実際にどんなものかじっくり見たことはないが、秋葉原を歩けばどんなものか想像できる。 「なぜ幼い女の子を描いたアニメの絵が、ここにはこんなに多いの?」(3) としか言いようがない。 特殊な趣味だが、これこそ日本が誇る“おたく”文化だと語る人がいる。 たしかに、一種の社会現象だが、幼女モノだけはそんなものではないと思う。どう見ても準アダルト的な異様な趣味である。 どらえもんがポップカルチャーに昇華するのは頷けるが(4)、幼女モノを同類として扱うセンスには疑問を感じる。 文化というなら、秋葉原ではなく、女性の“おたく”が集まる、池袋の「乙女ロード(5)」をあげるべきだろう。こちらは、乙女チックで、幼女モノとはセンスが違う。 2004年、ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館「OTAKU: persona=space=city」は“おたく”の“おたく”による“おたく”のための展示が登場したが(6)、確かにそんな類の文化だと思う。 現実から離れた世界に耽溺する「同人」が閉じた世界を作り上げているのである。 その力は凄い。ほとんどゼロから、コミック同人誌市場をつくりあげたのである。 同人的集まりから発生した「コミケ(コミックマーケット)」の第1回開催は1976年に遡る。これが、2004年12月、東京ビッグサイトの67回目になると、入場者は、1日目18万人、2日目19万人と、一大イベントにまで成長したのである。(7) 実は、漫画をほとんど読まない人間は、こんなところがピークではないかと水を差したくなる。 幼女モノが闊歩するような市場が発展し続けるとは考えにくいからだ。 コミック産業を発展させたかったら、こうした退廃ジャンルに頼るビジネスから脱出を図る必要があると思う。 秋葉原を世界のアニメビジネスの拠点(8)にする動きがあるが、人々を集めたいなら、幼女モノコミックからの脱却を急ぐべきだ。 --- 参照 --- (1) http://www.be.asahi.com/20050416/W25/0012.html (2) 年代順作品一覧 http://www2j.biglobe.ne.jp/~k_asuka/sakuhin/sakuhin.html (3) 森川嘉一郎「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 〜萌える都市アキハバラ〜」幻冬舎 2003年 http://homepage1.nifty.com/straylight/main/personapolis.html (4) 「Little Boy」村上隆 http://www.japansociety.org/events/event_detail.cfm?id_event=1343796159 (5) http://www.sankei.co.jp/news/050717/bun031.htm (6) http://www.jpf.go.jp/venezia-biennale/otaku/j/aethetics.html (7) http://www.comiket.co.jp/info-a/C67/C67AfterReport.html 東京都開催「東京国際アニメフェア」はビジネスショウ. http://anime.blogzine.jp/animeanime/cat1290247/index.html (8) セル製作側の日/韓/中/台と視聴市場のバイヤーのコミュニティという意味 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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