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2006.3.23
 
 


金色の魚の話

 海の真ん中で大きな黄金の魚が泳いでいる。
 その周囲は真っ暗闇。遠く離れた隅っこには、海草が生えており、そこには小魚がいるが、黄金の魚にはさっぱり関心を示さずに、遠くに向かって泳いでいる。

 Paul Klee(1879-1940)が1925年に描いた油彩画“Der Goldfish”[50 x 69 cm Hamburger Kunsthalle]である。(1)バウハウスの教官だった頃の作品らしい。

 確か、この絵は、「クレーの絵本」(2)の表紙にもなったから見かけたことがある人も多いと思う。

 他にも、“Fishes in a circle”(1926 油彩/テンペラ)があるそうで、魚は好きなモチーフだったようだ。今では、美術館がオープンしたから数多くの魚の線画作品を見ることができる。(3)

 魚の豊かな表情と、輝くような美しさに魅せられたのだと思う。孤高の魚を取り上げたのだろう。

 どころで、我々は、何故、クレーの絵に惹かれるのだろう。

 それは単純な美しさからではなさそうである。幻想的とも言える色彩感覚や、線画の世界に、独特な宗教観を感じるからではないだろうか。
  → 「Klee Gallery 」 [(C) 日本パウル・クレー協会]

 そして、そこには、「芸術とは目に見えるものを再現することではない」という思想がある。
 ビジネスマン的に言えば、「見える化」である。
 「見える化」とは分析ではない。「見えるもの」と、「見えるようにする」との間には、分析では超えられない深い溝があるのだ。

 おそらく、クレーは膨大な思索の末に、一つの思想に辿り着いたのだろう。クレーの絵を見た瞬間、そのことが伝わってくるのだと思う。

  「もし諸君のアタマの中でデザインや編集が進まないというのなら、
  一度、パウル・クレーに立ち戻ってみるとよい。
  目からウロコがはがれ、脳のスダレがあがるだろう。
  それがどうしても面倒だというなら、
  パソコンを切り、部屋の電気を消して、
  アタマの中に30分前に浮かんだことをトレースしてみることである。」(4)

  ・・・松岡正剛氏のパウル・クレー『造形思考』の書評の一文である。

 言うまでもないが、この話は、デザインや編集に限らないのである。

 --- 参照 ---
(1) 商業ポスターの「金色の魚」画像
  http://www.poster.de/Klee-Paul/Klee-Paul-Golden-Fish-3600234.html
(2) パウル・クレー絵 谷川俊太郎詩 「クレーの絵本」 講談社 1995年
(3) Collection/Search/fish(animal)
  http://www.paulkleezentrum.ch/ww/en/pub/web_root/act/sammlung_paul_klee/datenbank_paul_klee/collection.cfm
(4) http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1035.html


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