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2007.2.13 |
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米国大衆文化は変わるかGM(General Mortors)は、かつては米国経済の牽引車としての役割を果たしていた。自動車の大衆化を実現した企業でもある。 同時に、この企業はスーパーボールを始めとするスポーツイベントやポップ文化を支えてきた。商品が溢れかえるライフスタイルの一角を形成する文化活動に、惜しげもなくお金を投じてきたのである。 ほぼ1世紀に渡って、GMが、米国流文化の裏で活動してきたと見てよいだろう。 そんな企業も、いよいよ、世界一の自動車会社との看板を失うと噂されている。ここまで来ると、流石に収益回復も簡単にはいくまい。 それに、金融サービス、資源関連セクター、軍事産業、等々が好調で、米国経済は上手く回っており、自動車企業の不調を余り問題視しなくなっているようだ。これでは、政治的な支援も、余り期待できまい。 一般に、スポンサーが衰微すれば、その後押しで発展してきた文化も急速に弱体化する。 米国流の大衆文化にも、ついに転換点が訪れたということかも知れない。 そもそも、スポーツ大イベントと言っても、米国では圧倒的にアメリカンフットボール。(1) ところが、これが海外にはさっぱり浸透しない。米国協調路線を取らざるを得ない日本でさえ、振興に力を入れても、マイナーな地位から抜け出せない。 世界で、圧倒的な人気を誇るのはサッカーだ。 いくら貧しくても、球一つあれば練習できるし、ルール破りの“チョイ悪さ”を発揮して戦意高揚を図るのも技のうち、という点も面白がられる理由だろう。これは米国では嫌われかねない要素だ。しかし、そちらの方が世界の主流なのである。 スポーツでは、米国流は広がらなかったが、アートや音楽は違った。そこに、進取の気性が感じられたからだろう。 その典型は、大量生産商品の押し付け型広告を用いた芸術表現。米国臭芬々たるものだが、個性の強烈な主張を旨とした点が海外でも受けたのである。 貧しいにもかかわらず、その手の表現をなんとかして取り入れようと頑張った国もある。それが日本と言えよう。 当然ながら、生活レベルが上がってくれば、ともかく自己主張で目立とうとの芸術は嫌われる。独自性があり、なごみ易いものへと流れていく。漫画文化が持て囃されるのも、そんな流れで見ることができよう。 ただ、この先、豊かな生活が実現できなければ、一時的なローカル文化で終わる可能性もある。 ただ、そうなっても、力を持ち続けそうな日本文化が ある。 食文化である。 「和」食は、フレンチ、中華、インドの「食」とは根本的に違う感じがする。 なんといっても、最大の特徴はジャンルの幅広さ。それこそ寿司からインスタントラーメンまで多種多様。新材料は率先して取り込むし、海外の伝統食から面白そうなアイデアを借りるのもお得意。しかも、手のかかる生食から緻密な工業製品まで、バラエティ豊か。そこに健康科学まで持ち込む。 その行き届いた心配りと、緻密なスタイルは、一旦、その嬉しさがわかると離れられなくなる。 最近の自動車を見ていると、そんな文化の流れが始まったような気がするのだが。 ちなみに、GMは、勃興するWEBカルチャーを支援していくらしい。(2) --- 参照 --- (1) Nielsen によれば、2006年には約9千万人がABCでSUPER BOWLを視聴したそうだ. Pittsburghの視聴率はなんと58%. 過去最高は1996年の9,410万人だが, 今もたいしてかわらない. 30秒のスポット広告料は, なんと 250万ドル. http://www.nielsen.com/media/pr_070131.html (2) http://www.igotshotgun.com/ 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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