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2007.5.22 |
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相撲のアイデンティティとは2007年仏大統領選の結果が出たら、“シラク大統領引退で大相撲「仏共和国大統領杯」も消える?”(1)といった調子の記事が至るところに登場してきた。「Paris-Match en 2004」開催の際に、Chirac大統領の大相撲びいきを批判したことはよく知られている。(2)と言っても、普通の感覚でフランスの大衆にアピールしただけのこと。 “Comment peut-on etre fascine par ces combats de types obeses au chignon gomine? Ce n’est pas un sport d’intellectuel, le sumo.” (丁髷肥満男の戦いに魅力があるというのか? 知的スポーツではなかろう.) 大統領が親日から反日に変わったなどというコメントを見かけるが、そんな問題ではなかろう。 伝統文化を自称するだけで、論理的に意義を説明できない相撲を称えたところで、フランス国家にとって、何の得にもならないと判断しただけのことではないか。どう考えても、大統領が相撲びいきだから日本からの観光客が増える訳ではあるまい。 今迄続けてきたから、止めるのは如何なものか、という日本の現状維持発想が改革派に通じる訳もない。 もし、Royal大統領が実現していれば、相撲ではなく、人権や環境問題を絡め、北京オリンピック開催反対を言い出した可能性がある。スポーツ外交とは意志を伝える絶好の手段だから、そんな展開になるのは当然のことである。 それに、スポーツとして認められているかも疑問だ。部屋力士同士は対戦しないというアンフェアな勝負のルールを変えようとはしないからだ。柔道や剣道とは全く違うのである。 しかも、いくら国技と主張したところで、海外の力士が主流化しており、塩を土俵に撒く意義が理解できるとも思えまい。 今や、モンゴル出身力士だけでも、横綱、大関、関脇だけでなく、筆頭を始め前頭が5名、十両3名、幕下11名、三段目9名、序二段2名と驚くほど多い。(3)大関琴欧洲、黒海、露鵬といった日本流とは異なる名称の幕内力士も目立つ。 それに、横綱体験者にしてからに、輪島大士がプロレスラーになった頃は事情もあったろうが、それ以後は自ら選んで転進。 第60代双羽黒光司はプロレスラー、第64代曙太郎はK-1、第65代若乃花勝はアメリカンフットボール。 国技としての精神性を語ることを、横綱に期待するのは間違っていると言わざるを得まい。 こんな状況で、大統領杯存続を働きかけたとしても無駄骨だと思う。 Sarkozy新大統領は、もともと東欧出身。アイデンティティを重視する政治家である。 何をもって国技と称するのか、質問される。 おそらく、答えられまい。 --- 参照 --- (1) AFP 東京 [2007.5.9] http://www.afpbb.com/article/1578030 (2) “Nicolas Sarkozy denigre le sumo, la passion de Jacques Chirac” Le Monde [2004.1.17] (3) http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/shusshinchi/mongolia.html (イラスト) (C) スポーツ素材屋 http://sports.kantaweb.com/ 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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