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2008.8.4
 
 


一神教の問題とは…


 先日、宗教話を聞かされた。
 と言っても、専門家の解説ではなく、一般人の個人的な見解。
 一神教徒の国は、日本人のような多神教信仰の国と違い、寛容さに欠けるというのである。そして、これが戦乱や民族対立のもとでもあると決めつけていた。

 う〜む。

 多分、旧約聖書ヨシュア記の話を意識しているのだろう。神がエリコの住民と家畜の殲滅を指示したと記載されているからである。
 しかし、多神教なら寛容な訳ではあるまい。
 非暴力主義者ガンジーを殺害したのは、多神教ヒンズーの原理主義者だった。
 多宗教容認の国と称する日本だが、廃仏毀釈という厳しい宗教弾圧を行ったことがあるし、島原の乱を知らない人はいまい。アイヌ民族に対して寛容だったとも思えまい。
 一方、一神教のキリスト教だが、迫害されていた時代は非暴力主義だったと言われている。どこまで本当かはわからないが、ガンジーはマタイ伝の、左の頬を向ける話に感化されたと言われている。
 政治家を風刺するのは、言論の自由を守る上で大歓迎だが、ファクトに基づかない宗教批判を公然と語るのはやめた方がよいと思う。

 小生は、一神教とは、厳しい世界で生き抜いてきた民族が生んだ宗教だと考えている。と言っても、砂漠の民の宗教という和辻哲郎の風土論的な意味あいとは違う。砂漠の民なら、多神教である可能性の方が高そうと見ている位だ。一神教は、文化が異なる人々が集まり、争いごとが絶えない、都市で広まったと見るべきだと思う。
 と言っても、別に、たいした理論がある訳ではなく、単純な見方をしているだけ。・・・様々な神々に個別に祈って助力を請う余裕が無くなれば、一神教にならざるを得まいということ。それは、自然の厳しさからというより、戦争ではないか。
 小集団ならアニミズムですむが、地域化してくると多神教になり、それが民族宗教としての一神教になる訳だ。さらに、他民族容認の国家宗教としての一神教になるという流れは、宗教の進化というより、対立の過酷化に対応しただけのことと見ることもできるというだけのこと。

 つまり、一神教とは、民族消滅の危機的状況に直面して生まれた信仰ということ。団結して生き残るためには、これしかないというのはよくわかる。たとえ現時点で平穏に生活ができたからといって、何時なんどき、危機に遭遇するかわからないという緊張感が漲っている集団ならではの信仰だと思う。
 まあ、民族の定義が厄介だが、現代で言えば国家的一体感とでも言った方がよいかも。
 旧約聖書創世記のノアの箱舟を読めば、こうした感覚が伝わってくる。大洪水と言っても、自然災害とは訳が違う。これは、神の怒りであり、悔い改めない人々はすべて滅び去るできごとなのだ。民族消滅の一大危機に遭遇したということ。
 この話の原点は、古代メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」と言う人も少なくないが、こちらの記述が直截的でわかり易い。・・・神は、“方舟を見ると怒って言った。「何らかの生命が破局を逃れたのか。人間は生き延びてはならなかったのに」”(1)
 要するに、悪行ばかりしていて、人口は増える一方。そんなヒトの社会は許せぬ、ということで神がお怒りになったのである。

 一神教の原点はここではないだろうか。罪なことをしていれば、いつか滅びるという思想だ。信仰者のみが永遠の楽園の世界が約束されるということ。
 と言っても、かなりつらい話だ。旧約聖書「ダニエルの預言」の最後の部分は、終局の幻を見た話だが、それは戦争が延々と続く苦難の世界である。これを通り抜けないと楽園には到達しないのである。

 一神教が問題だとすれば、ここだと思う。厳しい世界を生きてきたためか、終末思想感が漂うのである。楽園を目指し、殉教者覚悟で聖戦に赴く覚悟ができ易いのだ。
 グローバル経済が進めば、地域や民族としての一体感が失われる。しかも、苦しい生活を強いられたりすれば、信仰が篤い人達にとっては危機的状況到来と感じるに違いない。聖戦に立ち上がるのは、自然なことかも知れないのである。
 もともと、聖典には、読み方によっては、異教徒との敵対関係を呼び込みかねない要素が含まれているから、ここをつつく人がいると火がつきかねないのだ。
 例えば、イスラム教徒は、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間にできないと主張するのはえらく容易である。そう書いてあるからだ。(2)
 実に、厄介な問題である。

 --- 参照 ---
(1) 「ギルガメシュ叙事詩」-大洪水の物語- [出典不記載] http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil11.htm
  矢島文夫訳: 「ギルガメシュ叙事詩」 ちくま学芸文庫
(2) 「5.食卓-51」日亜対訳注解聖クルアーン 日本ムスリム協会
  http://www.isuramu.net/kuruan/5.html
(最後の審判-システィーナ礼拝堂の写真) [Wikipedia]
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Michelangelo_-_Fresco_of_the_Last_Judgement.jpg


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