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2008.12.1
 
 


クリスマスケーキを考える…

 クリスマス菓子はどんな経緯で生まれたのか考えてみた。資料を駆使した訳ではなく、昔から聞いてきた雑情報をもとにした仮説である。

 フランス語圏で何回かクリスマスをすごしたことがあるせいか、クリスマスケーキと言えば、ブッシュ・ド・ノエル(Buche de Noel)という感じがする。
 日本のクリスマスケーキに慣れていると、丸太に雪を被せたデザインを初めて見ると、かなりの違和感を覚える。
 同じ木でも、聖書にちなむ飾りに意味があるクリスマスツリーとは全く違う印象を与えるからでもある。
 話をきかないと、理解しがたいセンスだ。

 もともとは、クリスマスイブに、暖炉で、自ら伐採してきた大きな薪をそのまま焚く風習があったことに由来するのだとか。
 だが、これ、どう考えても、聖書からきたとは思えまい。木の精に冬の寒さから家庭を守ってもらう土着信仰と、キリスト教が習合したものと考えるのが自然だ。この風習の発祥は北欧のようだが(Yule log)。おそらく、大木を切ることができなくなったので、フランスが率先して菓子で代替したのだろう。
 童話の世界と思いがちなドイツの「お菓子の家」(Hexenhause)も類似感覚かも。

 日本でも、冬至には邪気払いをするが、その役割を担うのは柚子風呂と南瓜入りお粥である。欧州で、これに対応しているのが、香りを放つ生姜を入れたクッキーだろう。人型(Gingerbreadman)にしたのも、力を頂戴するという呪術的な要素があろう。ただ、ドイツのクッキー(Lebkuchen)は生姜は入らず、スパイス調合品である。
 多分、クッキーだけでなく、薬草入りのホットワインか薬酒を飲みながらクッキーを食べたろう。

 これらのお菓子は、クリスマス菓子とされるが、純粋な聖誕祭用ではなく、冬の節句用の転用だ。寒い地域の土着風習から生まれたもの。
 聖誕祭用の正統な菓子は別だと思う。

 ともかく重要なお祭りなのだから、何ヶ月も前から準備するようなものになろう。つまり、日が経つにつれ、独特な香りと味わいが生まれるような菓子ということ。しかも、誕生を祝って、皆で分け合って食べる形態になる。聖母が誕生祝いで配ってもおかしくないものになるのではないか。従って、素朴で、それぞれの家庭で独自に作れるようなものでなければおかしい。
 これに該当するのが、ドイツではChriststollen、イタリアではPanettone、ロシアではКулич、イギリスはPlum Puddingということだ。
 そして、イギリスが宗主国だった国々では、イギリスでの結婚式定番ケーキの、砂糖、卵、ミルク、薄力粉、を各1ポンド使うPound Cakeとなる。日持ちするから、最初は母国から送ったのかも知れない。それが、次第に、現地の家庭で作るようになったに違いない。1ポンドレシピも変わり、名称がフルーツケーキに変わったのではないか。

 ただ、キリスト教徒にとっては、クリスマスより、復活祭の方が重要だから、一番力をいれていたのはもともとはクリスマス用ではなかったと思う。
 イエスキリストが磔になった悲しみの日から、肉を断ち、復活の日にそれを解くのだから、最高に盛り上がるお祭りの筈。当然ながら、卵・バター・ミルクをふんだんに使った菓子でお祝いした筈である。
 だが、イースターエッグもチョコレート菓子になってしまった位だし、断肉食も聞いたことがない。復活祭独特の菓子が残っている可能性は低そうだ。なにせ、動物系原料がリッチな菓子であるほどよい筈だから。
 そんなことを考えると、イタリアのPanettoneやPandoroは、キリスト教をひろめたローマ軍人が好んだ復活祭菓子だった可能性もあるのでは。

 折角だから、日本のクリスマスケーキについても、仮説を提示しておこう。

 日本の場合は、おそらく、キリスト教徒の聖誕祭ではなく、上流階級が開催したクリスマス夜会がつくりだした習慣が発祥ではないか。
 キリスト教徒ではないから、この夜会の肝はプレゼント交換だったに違いない。したがって、菓子はそんな西洋の風習を暗示するものになる。雪の中をサンタクロースがトナカイの橇に乗ってやってくる情景を彷彿させる必要がある訳だ。
 従って、飾り細工の白色西洋菓子になる。家庭で作るものではないから、フルーツケーキ的な菓子は合わないし、暖炉で大薪を使って邪を払う慣習もないから、Buche de Noelなど埒外。
 ケーキの土台はカステラによく似たスポンジケーキを使うことになる。そして、白色のクリームで覆い、西洋的な飾りをつければ完成である。
 と言っても、かなり力を入れた細工モノだったかも知れない。日本では、神とともに食べることを重視しているから、クリスマスケーキを適当に作る訳にはいかなかったと思う。
 こんな上流階級の動きに合わせて、進取の気性を持つ企業家がクリスマスケーキを家庭に持ち込んだのである。これが、明治43年(1910)のこと。(1)

 その後、技術が発達しバタークリームからホイップクリームに代わる。さらに、苺が通年収穫ができるようになったので、これも取り入れた訳だ。どのように変わろうと、始まりの精神はそのまま受け継がれている。

 --- 参照 ---
(1) 不二家の歴史 [採用情報] http://www.fujiya-peko.co.jp/company/recruit/history/index.html
(クリスマスケーキのイラスト) (C) yoshie
  サイト名: ヴィラージュ・クッキング素材集
  URL: http://homepage1.nifty.com/steak/sozaisyu.htm >>>
  サイト紹介: 料理・野菜・果物・お菓子・ケーキなどの食べ物や、飲み物の素材集です。



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