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2009.10.22 |
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珈琲と茶から見えてくる文化の底流…〜 もともとのコーヒーは豆でなく茶葉だったようだ。〜お役に立たない珈琲話をしてしまったが、嗜好品は好みが様々だし、言葉でその楽しみを伝えるのは難しいのでご容赦のほど。 → 「コーヒーを愉しむには」 (2009年9月9日) ただ、スペシャルティ・コーヒーを眺めてみて、ずいぶん勉強になった。と言っても、何を飲むかとか、価格の話ではなく、歴史観。 そのきっかけは、コーヒー発祥の地を言われている、エチオピアのスペシャルティコーヒーに関する記述。どうせモカの宣伝と思ったのだが、葉の写真もありなかなか詳しい。(1) その葉を眺めていてふと気付いたのである。エチオピアにコーヒーセレモニーがあることは知られているが、これはシバの女王時代からのコーヒーの伝統とは縁も所縁もない風習ではないのか。この文化は外からやってきたものに違いない。 1時間ほどかけて、客人を歓待するようだが、飲み方といい、使う道具といい、すべて新しいやり方だ。(2)日本の茶道よりずっと後から生まれたものと思われる。これはこれで、独自な様式だから面白いが、コーヒー文化を生み出した地でありながら、そんなものに染まってしまったのがいたく残念。 古い文化に固執することを、遅れていると見なす風潮がのせいだろう。どこ地でも、そんな傾向はあるものだが、エチオピアは特にひどいようだ。 そう感じたのは、そんな習慣に馴染まぬ人達がいることを知ったから。土器の壷でじっくりと蒸したイモと、コーヒーの葉を煎じた飲み物を大事にしているというのである。一部族[アリ人]だけのようだが。(3) これこそ、コーヒーの原型ではないか。 〜 カフェイン文化はイスラムが作ったものだろう。〜 コーヒーの葉を飲む習慣がどこで豆にかわったかは自明。対岸のイエメンに葉では運べないから、豆が渡ったのだろう。そして、焙煎されるようになったと思われる。うまく処理すれば飲めると気付いた訳だ。そんなことまでしたのは、イエメンがイスラム文化に呑みこまれたから。 そこで、「ガツン」感を尊ぶ流れが生まれたのだろう。昔から言われているように、勉強好きな学者達が、眠気を飛ばし、精神的な覚醒を求めるためにコーヒーが愛されたということ。頭が疲れている時には効く。効いた感じだけかも知れぬが。原則論で考えれば、イスラム教国は、法学者が治めることになるのだから、皆、命がけで勉強に励んだに違いなく、とてつもない摂取量になったと思われる。 経典宗教地域だからの話。日本だと、お神酒を頂いて、皆との酔いのなかで神との一体感が醸し出されるのだが、神学への没頭が神に近づくことになるが、イスラムでは酒などご法度品。 まあ、コーヒー摂取も度を越すと、カフェインだけを求めてしまう。古き時代はそんな状態だったかも。 なにせ、河馬君も好きになるようだし。(4) 小生も、この文化から離れられないのかも。デカフェなどもってのほかだから。 もっとも、そのうち、そんな輩は未開人扱いを受けることになるかも。 ただ、合理主義者が多そうな、オランダや北欧は、日本の倍はカフェインを摂っているから、当分そんなことはなさそうだが。(5)あとは、ここら辺りの人達がカフェイン敵視思想にかぶれないことを願うのみ。 〜 コーヒーの飲み方とは生活感そのものかも。〜 ただ、イスラム法学者が用いていただけなら、なかなか一般に普及しなかった筈だ。その辺りの事情は、珈琲の歴史書は五万とありそうだから読めばよいのだろうが、それを紐解くほど興味は湧かない。ただ、想像するに、きっかけを作ったのはトルコ帝国以外考えられまい。 と言うのは、この国、今もって、世俗主義と宗教国家観の間を揺れている大国だからだ。政治の世俗化とは、議論の場をそこかしこに作ることでもあり、その拠点として珈琲館が生まれたのだと思われる。カフェでカルチェラタンの話に花が咲くというフランス文化も、もともとはトルコというか、国際都市コンスタンチノープルからの渡来文化だと思う。まあ、それが日本にも飛び火したということだが。ここらは、団塊の世代だけがお好きな話であろう。
珈琲・茶文化は簡単に説明できるようなものではないのかも。 → 「お茶の歴史をふり返る」 (2005年10月19日) 考えてみると、小生の場合は、コーヒーのイメージには、大学生時代の、ライオン(8)、らんぶる(9)、といったい喫茶店感覚がだぶっているような気がする。コレ、多分、その当時としては、昭和初期のノスタルジー的な復刻文化だったのではないか。レコード盤から流れるのはもっぱら硬い音楽が多かったし、その雰囲気で小難しい本を読むというシーンがぴったり。音楽が流れていても、明るい銀座ウエストとは全く異なり、歌声喫茶やジャズ喫茶とも違う。本を読むといっても、神保町辺りのお店とも違うのである。 まあ、音がよい訳でもないから、そんな文化を守るのはむずかしかろう。小生にしてから、今更さら入る気にはなれない。 だが、悲しいかな、今のコーヒーショップは、実用感覚一本槍の感じ。一息あるいは一服のためとか、パソコンでメールを見るといった用途に最適という感じ。余りに、日々忙しいということだろう。もっとも、よく考えれば、小生も、大学の授業をサボって、スペースが広くて、明るく静かな喫茶店で、通信添削や代理でのもの書きアルバイトをしていた覚えがある。コーヒーは美味しかったし、空いていて静かで気分もよかったからだが。ついでに、モーニングなる名称の早い昼飯もとったりして。 その点では、繊維産業の町で、喫茶店が残って当然かも。(10)ただ、それが外部の人にも魅力的なお店かは別な話だが。 かつての喫茶店の役割を考えると、現代では、美味しいケーキを出す瀟洒なお店ということになるのかも。 〜 バリ島のコーヒーは、観光的香りがする。〜 そういえば、不思議なのが、パリ島のコーヒー。 エスプレッソ級の深煎パウダーに湯を注いで飲むことで有名。粉が口に入って気分が悪いのは我慢するとしても、耐え難いのは、砂糖を山のように入れること。小生にはとても耐えられない。 スーパーではコンデンスミルクが山のように売られているから、“Kopi susu”の方が飲まれているのだろうが、こちらはもっと極甘。暑い気候だから、クリームやミルクでないとはいえ、慣れないと飲めたものではない。ブラック好きは、“Minta kopi pahit.[苦い]”と、“Minta Aqua.”は必須用語だ。 イタリアでもエスプレッソには底に溜まる位砂糖を入れるのだから、苦味を抑えるために甘くする手は万国共通なのだろうが、これにはまいる。 こうしたバリのコーヒー文化だが、伝統に沿ったものとは、とうてい思えない。 小生は、観光商売を基本とする体質から生まれたものではないかと感じたのだが、どんなものだろうか。 ティーもスーパーに山のように売られているが、オランダ統治が長いから、飲み物はコーヒー主体が長いと思うが、又、新しい文化が創られていそうだ。ティーが流行るなら、それもよいかといった調子で、結構軽く合わせているように思う。その辺りが、イスラム勢力に囲まれながら、ヒンズー教を維持してきた秘訣だと思う。しかも、ヒンズーと言うが、日本人から見れば、これは神道以外のなにものでもない。寺と言うが崇拝する偶像がある訳ではない。僧侶もいないようである。と言うか、僧侶とは寺の管理者ではなく、どうも呪術者として別に住んでいるようなのである。まあ、観光客への対応だからどこまで真実かはわからぬが、どうも神道的な仕組みに近いのは間違いなさそうだ。神は降臨するそうだし。 ヒンズーの知識がないからなんとも言いがたいが、多神教でカースト制度を肯定し、神の名称を受け入れていても、全く違う信仰なのでは。だいたい、日本同様に、そこらじゅうに祠とご神木があるし、土着宗教然としているし。 外の大きな流れに余り抵抗せず、なんでも受け入れるが、同化されまじということで、様々な仕掛けが組み込まれるのが特徴の社会のように映る。これはこれで、なかなか面白い生き方である。 そんなことを考えると、ジャスミンティー系列はお嫌いなのでは。ジャワ島で好かれているから対抗するという意味ではない。祭祀が日々の家庭生活に深く入り込んでおり、お香が始終焚かれており、感覚的に合わないと思うから。日本で言えば、お線香の香りがする飲み物が敬遠されるようなもの。当て推量だから、なんとも言えぬが。 だが、なんとなく、そんな人達が住んでいそうな感じがする。多分、バリ人というが内実はジャワから逃げたきた人達も融合した社会なのではないか。ひとつの生き方であろう。日本人には、そんな態度はわからぬでもないから、結構受けそうだ。 これに対して、日本人に嫌われているのが李朝的な文化だろう。もともとは、洗練された茶器文化を育てていた筈なのだが、廃仏ということで「茶」を一掃したのである。カフェイン文化を歴史から消し去ったのだから、タリバン顔負けの破壊。 こうした体質はそう簡単に変わらないと思われる。留意しておいた方がよいと思う。 〜 茶文化は都会からの離脱感が本質かも。〜 こうしてみると、コーヒーは都会的な人々のためのものに見えてくる。 ところが、同じカフェイン飲料の茶も同じかといえば、一寸違うのである。実に面白い。 茶道の原点は「茶経」(11)と言われている。これを著した陸羽(733-804年)が住んでいたのはではない。そんな場所で、じっくりと花を咲かせたのだから、おそらく、本流でない人達に愛された書だろう。 まあ、白楽天の時代感覚が蘇る。誰でもわかる、平易で感傷的な作品が多いから、酒と茶で悠々自適の生活をしているように映るが、有能な中堅官吏だとして過ごした人の筈だ。唐から宋にかけての文化は成熟していたということだろう。 その流れをくむのが、周作人(対日協力者とされる.魯迅の弟で政治運動家ではない.)や魯迅と見ることもできよう。もちろん、二人とも日本に留学。 どちらも、人生の楽しみは茶と喝破したようだ。質素ではあるが気分が良い家で、のんびりと時間を気にせず、知り合いと緑茶を入れることの楽しみを愛したようだ。(12) おそらく、親友というより、色々と語り合える気のおけない仲間との茶話の嬉しさに気付いたのだと思う。 これは、都会のせわしない喫茶店文化とは相容れないものだろう。 しかし、中国では、そのような都会文化の流れは奔流でもある。 そう、茶館文化だ。 もっともそれを潰そうとした勢力もある。言わずと知れた文化大革命。茶館はブルジョア思想そのものとされたのだ。その最中に消された老舎(1899-1966)の代表作の一つは「茶館」だそうだが、中国の都会の実態をあますところなく描いたものといわれている。小生は、読んだことはないが、茶館で生計をたてる主人公、権力につながるビジネスマンの群れ、腐敗・・・といった登場人物からなるストーリーと聞く。おそらく、それは今も、全く変わらない北京の実態だろう。 現代の為政者は、その老舎のネームバリューを利用して、北京を売り込むことに熱心だから、ご存知の方も多いだろう。(13) だが、これは所詮は、非漢民族の都だった北京で成り立つだけかも。 〜 茶文化の肝は茶選びかな。〜 北京での茶の主流は、宮廷で好まれた「茉莉花[Jasmine]」入りらしい。日本では、“茉莉龍珠”という名称が使われる茶かな。美味しいが、これは「茶経」のセンスでもなさそうだし、「茶館」用というより、食事の際のさっぱり感のためのもののような気がする。ただ、それは地域的にやむを得なかったということらしい。(14) ・一月もの長い輸送の最中に新鮮な緑茶の香りと品質が失われてしまう。 ・井戸からくんだ水をのんでおり、この地の井戸水は苦く渋く、よい水は少なかった。 確かに、福州白龍珠王など、いかにも高価そうであり、南に行くとジャスミン茶の人気は今一歩だ。ただ、権力層が移住した台湾や、沖縄(さんぴん茶は緑茶ベースのようだ。)だが。ただ、どこでも茶の種類は豊富である。そのなかから、好きなものを選ぶというのが楽しみの一つでもあろう。 権力者が愛したのは、なんといっても、緑茶の龍井茶だろうが、茶葉自体は結構黒い。飲んでみてわかったが、一杯目は香りが立ち、二杯目が旨みがグンとくる。さらに結構何杯も出るのには驚いた。この辺りに関しては、書籍も、ウエブも情報は山とある。(15) なんといっても面白いのは、茶の分類や、名前に結構凝っていること。青茶というからなにかと思ったらウーロン茶。茶葉は黒色だから、烏茶でよさそうなものだが、水信仰の対象でもある龍を加えている。従って、青ということか。よく土産にもらう手の茶だ。「武夷岩茶」、「鳳凰水仙」、「鉄観音」など。台湾なら、「凍頂烏龍茶」、「阿里山烏龍茶」、「高山茶」、「東方美人」と様々なブランドが並ぶ。ピンキリ。 茶道ももちろんあるが、それは上流階層だろう。なんといっても、中国の特徴はどの階層も、日常的に沢山飲むということではないか。しかも、のんびりと。 そのため必ず茶請けがつくようだ。いわずと知れた、「三子」(南瓜、西瓜、向日葵の種)である。これは、日本には受け入れられなかったようである。食べるのにコツがいるし、なんとなく、リスやハムスターなどのペットか、インコやオウムなどの鳥の餌といった風情があるから敬遠されたのだろう。 --- 参照 --- (1) Surendra Kotecha: “Arabicas from the Garden of Eden?Coffea Aethiopica” Specility Coffee Assn. of Europe [29th April 2008] http://www.scae.com/news/214/arabicas-from-the-garden-of-eden-coffea-aethiopica/ (2) 「エチオピアの代表文化コーヒーセレモニー」 Ethiopia Bet http://www.geocities.jp/ethiopiabet/food/bunna/ceremony.html (3) 鈴木郁乃: 「イモとインジェラ (エチオピア)」 アフリック・アフリカ http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/meal01.htm (4) “Jessica the Hippo: Caffeine Addict” http://videos.howstuffworks.com/animal-planet/6654-jessica-the-hippo-caffeine-addict-video.htm (5) “Caffeine” http://faculty.washington.edu/chudler/caff.html (6) 「五訂増補食品成分表」 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802/002/016.pdf (7) Alejandro Lopez-Ortiz: “Coffee and Caffeine's Frequently Asked Questions” http://www.faqs.org/faqs/caffeine-faq/index.html (8) 塩沢槙: 「東京ノスタルジック喫茶店巡り (2)」 日経WagaMaga http://waga.nikkei.co.jp/play/walk.aspx?i=MMWAd6000012052009&page=2 (9) 「らんぶる」 新宿中央通発展会 http://www.shinjuku-chuo.com/shop/lambre/lambre.htm (10) 「一宮モーニング」 http://ichinomiya-morning.com/ (11) 陸羽: 「茶経」 http://www.guoxue.com/gxzi/cj/cj.htm (12) 「魯迅興周作人誰更僅得品茶?」CCTV http://big5.cctv.com/gate/big5/pick.cctv.com/20090413/102112.shtml (13) “北京の文化が味わえる「老舎茶館」” 人民網日本語版 {2007年11月16日] http://j.peopledaily.com.cn/2007/11/16/jp20071116_79759.html (14) 「北京でお茶を愉しむ」 中国画報 http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/japan/200804/news/4-2.htm (15) [例えば・・・] 「中国六大茶 中国茶の種類」相高茶荘 http://www.uloncha.com/f_rokudaicha.htm 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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