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2010.9.9
 
 


YouTubeで楽しみ方も変わる…

日本の女子中高生のアイドルが韓国の女性グループだったのを知った。
 テレビのニュースで韓国の女性アイドルグループの日本公演の映像が数分流れた。広い会場は、感激し尽くしている女子中高生で超満員状態。
 結構マトモなんだ、というのが小生の率直な印象。

 というのは、アイドルとは言葉だけで、身のこなしは洗練されているし、人造ではないかと思われるほど完璧に近いプロポーションの持ち主ばかりだから。しかも、ダンスは徹底的に磨きこまれている。
 これが好みかどうかは別として、訓練しつくされたプロフェッショナル集団であり、だからこその人気だそうである。そのなによりの特徴は、グループとしての主張を感じさせる点。競争を勝ち抜いてきた自信が滲み出ていると言った方が正確か。

 同じように、日本の女性アイドルグループもニュースで見かけたことがあるので、その違いが俄然引き立つ。
 日本の女性アイドルグループの場合、観客の主流が全く違うのではないか。なにせ、映像に映ったのはオニイサンとオジサン。俗称アキバ族だろうが、大いなる違和感を感じさせるシーンである。
 当然ながら、アイドルも、この層のお好みに合わせたスタイルになる訳だ。その一大特徴は、幼稚さをアピールするようなしぐさをちりばめること。そして、歌や演技の素人臭さ。もちろん、そこには自己主張の欠片もない。そこが肝ということか。
 想像するに、“なにもできないけど、一所懸命に頑張りますから、応援よろしくお願いします。”がウケるのだろう。内輪の学芸会気分に浸れるところが楽しいのだろう。

 先の女子中高生はどうみても、この好みとは正反対。プロフェッショナルのパフォーマンスに感激しているからだ。

これは、YouTubeの時代到来ということかも。
 この女子中高生達だが、アイドル評価は厳しいものがあるらしい。最高のパフォーマンスを見せるグループに人気が集中するのだという。YouTubeで比較検討された結果だそうだから、冷徹そのもの。
 これには驚かされた。
 クラシック演奏もそうだが、質が落ちればたちどころにお客激減。ただ、こちらは口コミ情報が主だ。これが、Video映像で指摘されるような時代に入ったようなもの。娯楽文化が大きく変わり始めそうな予感がする。

 そんな気分になったのは、いよいよ最新映画のストリーミング配信が5ドルで始まるとのヒュースが駆け巡ったから。(1)
 映画館では立体画像など特別な雰囲気で楽しみ、家庭ではお好みの映画をお気軽に見るようになる訳だ。ここまで来るのにずいぶんと時間がかかったものである。

 こんな話をすると、すぐに産業の観点での大きな一歩話になりかねないが、そんなことを取り上げたい訳ではない。YouTubeのVideo映像で気軽に好きなものを選ぶようになるということ。
 これで、評判なのでとりあえず見ておくという習慣が失せるのではないか。なにせ、宣伝に乗せられて質の低い作品に無駄に時間を潰された経験は誰でも覚えがある訳だから。

娯楽パターンが変わっていくのかも。
 そうなると、アキバ族文化も下火になるかも。ウエブのリソースが貧弱なままだと、次々と新規作品が登場するこうした分野は目立つ。しかし、それを凌駕する分野も出てくれば、そちらにも関心が払われるに違いなかろう。
 特に、競争にしのぎをけずるプロの映像が溢れてくれば、そちらに傾くのではなかろうか。

 そんなことを考えていて、ふと思ったことがある。・・・“インド映画が流行って欲しい。”
 とは言うものの、正直のところ、小生は苦手であり、勝手な言い草。非インド的インド作品は見たことがあるが、土着の大衆的作品にはどうも馴染めないのである。理由は単純で、筆舌に尽くし難き“凄味”に、気分を合わせることができないから。
 だからこそと言ってはなんだが、YouTubeの存在が大きく感じる。小生のようなタイプでも、インドの大衆映画をその気になれば即座に見れるからだ。これなくしては、とても見る気にはなれなかったと思う。Susan Boyle現象はYouTubeあってこそというのが実感できる。まさに百聞は一見に如かずである。
 ひょっとしたことから、雪崩をうつように新しい流れが始まる可能性があるのは間違いなかろう。
 それこそが、YouTubeの真価ではないか。

 と言うことで、お勧め。
  → 「インド映画」[bollywood]  YouTube
    (一時、日本でも大流行した、“Muthu”の短時間画像を見るのもお勧め。)


 ・・・見た瞬間の、肌感覚の違いは、大衆文化のアクの強さから来るものだろうか。“masala movie”と呼ばれるのも道理の破茶滅茶さ。そこには、日本が失ってしまったエネルギーの塊が息づいていると言えそう。
 閉塞感が強まると娯楽どころでなくなるという人がいるが、普通は逆である。表現欲を満たすものは娯楽しかなくなるもの。映画は見るだけだが、その後、それを真似ての大騒ぎできることが楽しいということ。
 米軍統治下状況だったからこそ、沖縄では当たり前のように三線が演奏される状況になったとも言えるのだと思う。例が悪いか。

 小生はインド映画のファンではないので、まともなご紹介はできかねるが、特徴は以下のようなものらしい。偏見も入っていそうだが。
  → みのわさゆり: 「インド映画<マサラムービー>の魅力」 (C) Indo News

・荒削りでいい加減で、洗練する気が感じられないストーリー
・すべての要素を同居させた、全体コンセプト無視の構成
  (ラブロマンス+コメディー+涙+アクション+スリル+サスペンス+敵の存在+復讐+ハッピーエンド)
・アクションやミュージカルが脈絡なく登場するダイナミックな作り込み
・西洋音楽とは全く異なるエキゾチック感満載の音楽と歌
・完璧な演技を追求しない、迫力重視の集団ダンス
・ハイテク技術を一切排除する人間臭い作風
・現地人以外理解不能な、連発されるギャグ
・意味がよくわからない、大げさで大胆な表情と身振りだらけの演出
・表現意図がよくわからない、スローモーションやズーム映像
・美しい女優と個性的な顔出ちの男優の組み合わせ
・3時間余りの長時間作品

 --- 参照 ---
(1) “Google plans pay-per-view films” FT [August 29 2010]


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