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2013.9.18

自己実現文化について…

「マザーテレサの言葉」で検索すると、似たようなサイトがゾロゾロ。内容を見てはいないからなんとも言えぬが、広告収入確保のための閲覧数獲得競争だろうか。
驚いたのは、ご推奨代替検索ワード。「マザーテレサの名言」はソリャそうだろうとなるが、イの一番にあがっているのは「マザーテレサの言葉 思考に気をつけなさい」。
「愛」や「祈り」ならわかるが、「思考」。
ガーン。

ということは、日本では、以下の詩が有名ということだろう。・・・
 Be careful of your thoughts,
  for your thoughts become your words;
  Be careful of your words,
   for your words become your deeds;
  Be careful of your deeds,
   for your deeds become your habits;
  Be careful of your habits,
   for your habits become your character;
  Be careful of your character,
   for your character becomes your destiny.

小生にとっては、この手の言葉には馴染み深いものがある。
異端とされていたインターネットが表にでてきたことで、思考は現実化すると大騒ぎしていた頃を思い出すからだ。1000年王国と言われたソビエトの体制もあっけなく崩壊したし。
その頃は、確か、コレ、詠み人知らずと言われていたように記憶する。全く同じ文章かは定かではないが。
以下、両者は、ほとんど同じと仮定しての話。(結構面倒くさそうなので、確認せずに失礼させて頂く。)

まあ、なんとなくピンとくるものがあった。日本でなら、いかにもありえそうな話だという気がしたのである。勝手な一人合点ではあるが、日本での書物の多くは、キリスト者の発想を理解していない感じがするということ。そうなると、どうしても上記の言葉の背景がわからずに解釈しがち。
多少、偏見モードではあるが、結構重要だと思うので、説明してみようか

まず、この詩のとりあげられかただが、おおかたは、Visionを描いて、そのイメージで突き進めば、夢は実現するという手の話。昔から米国人が大好きな発想。その素晴らしさを日本にも伝えようという動きは古くからあり、知らぬ人はいないのではなかろうか。しかし、小生が眺める限りでは、日本に根付いているとは思えない。同じような発言をする日本人も少なくないにもかかわらず。
両国の、この辺りの風土の違いを知っておくことは結構重要だと思う。根底にキリスト教精神があるかという点から来るものだと見ているからでもある。このことは、同じようなことを語っていても、真意が違ったりしかねない訳で、注意が必要だと考える訳。

話は急にとぶが、上記の詩、実は類似のものがある。
マハトマ・ガンジー(1869-1948)の言葉とされていて、出典も明らからしい。(基本的にこうした言葉は口承なので、本人の著作に掲載されているという意味ではない。)米国では公民権運動が結実したから、キング牧師の名言とともに、結構よく使われている筈である。
 Your beliefs become your thoughts,
  Your thoughts become words,
  Your words become your actions,
  Your actions become your habits,
  Your habits become your values,
  Your values become your destiny.
常識的には、こちらが原初では。

ついでながら、場合によっては、これが「自己実現」バージョンになって登場する。所謂、Positive Thinkingの話。その重要性を語るために必ずと言ってよいほど使われる文言。
さらに加えるなら、ここでのYouを複数形と考え、組織一丸となって「考える」ことの重要性を指摘する文章になることもある。熱帯の島に住む人達でも、冬季スポーツで優勝したいと思えば、チームスピリッツがあれば実現できるのだゼということで、例を示しながら用いられたりする。こちらは、組織論なので意味は全く違うが。
これはこれで、ビジネス用だから、誰かが作ったものだろう。作者も、著作権が発生しているものかも、よくわからぬので、とりあえず一行目だけのご紹介。
  Keep your thoughts positive
   because your thoughts become your words.・・・

尚、引用集を見ると、ガンジーは手短にこうも語ったらしい。
 A man is but the product of his thoughts.
  What he thinks, he becomes.
    [出典: S. Ganesan:"Ethical Religion" 1922]

ついつい、だらだらと書いてしまった。これでは何を言いたいかさっぱりわからないか。

なんといっても、ポイントはDestinyで終わっていること。このことは、最初のThinkingは「思考」と訳されても、キリスト者的発想なら、我が思うということではなく、自分の使命を考えるということになる。自分が創り出した「夢」をとことん考え抜くのではなく、造物主から与えられた「使命」とは一体何かを深く深く考えること。
この差を理解しておく必要があろう。
「夢」とか、「自己実現」とは、自我あっての話。神から与えられた「使命」は何かを考える訳ではない。前者は、夢が実現すれば嬉しさが生まれることになり、そこには「見返り」期待が存在している。ところが、後者には、そんなものは一切存在しないのだ。志を立てることこそ重要とか、最初に思考ありきで運命は自ら切り拓くべし、という話とは次元が違う訳。
本来のキリスト教とはそういうものだと思う。神に祈ってなんとかしてもらうというのが、万国共通の宗教の原点だろうが、そういう立場ではないのだ。キリスト教は普遍的宗教と見なされるが、この観点ではかなり特殊な宗教なのは間違いない。それは、おそらく、なんの希望も持てなかった人達が信者だったからだろう。
それが、いつのまにか、そのような人々とは言い難い、生活に余裕がある層が信者の過半を占めてしまったから、非キリスト教徒には理解しにくい心情が多々あるのだと思う。

ここら辺りを理解しておくと、キリスト教徒の生活信条がどのようなものになりそうか想像がつく。
生きていくためには色々ある訳で、いい加減な姿勢で行くしかなかろうというのが現実。しかし、それが正しいと考えているわけでなく、罪深いことではある。だが、それがヒトの性なのだ。
従って、この現実を見据え、自分の使命とは何かを考え、その線に沿って先を見て進もうと時々自省する訳である。
ともあれ、自分は弱い存在であることの認識が出発点。だからこそ、自分の使命が何かトコトン考えることができるのだが、おそらく、日本社会で教育を受けてしまうと、この理屈がわからなくなるのである。

そして、それにともなう誤解も生むことになる。それだけは避けたいもの。

ここで、使命というのは、あくまでも造物主と個人の間の話。従って、第三者にそれが見えるとは限らない。あくまでも推定でしかない。そのため、傲慢な姿勢ばかり見せるので好きになれないと感じさせる人も少なくない訳である。なんだ、表面的にはフレンドリーだが、敵対的なんだとなったりする。たいていは、理解が足りないのである。こと使命に触れる問題になったりすれば、妥協などあり得ない。そこに十分注意を払うべきだと思う。

こんな説明だと、かえってわかりずらいか。

例えになってはいないが、こんな話をすれば、なんとなく感じをつかんで頂けるかナ。・・・
テレサ発言に含まれているかは知らぬが、日本人の態度を見れば、以下のような主旨の発言があってもおかしくないと思うのだが。どんなものだろう。・・・
  何故、私の手伝いをしたいの?
  あなたの周りにも
    助けを必要としている人は
      いくらでもいるでしょうに。


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