→表紙 | 2013.11.18 |
お勧め新刊本:「インダス文明の謎」人類史の曙光として、必ず、4大文明を学ぶことになる。○ナイル川下流 季節的に上流から大量の肥沃な土砂が流れ込む広大なデルタ地域。洪水に合わせた、華やかな季節農耕文化が生まれたとの絵は説得力十分。巨大なピラミッドとスフィンクスの写真を見れば解説してもらわなくても、理解した気になる。 ○チグリス川+ユーフラテス川 2つの川に挟まれた地や、周囲から注ぎ込むいくつもの川をもつメソポタミア地帯も、素晴らしい文明発祥地であることはすぐにわかる。なにせ、至るところに灌漑施設が建設されているからだ。高度な河川文明勃興地との説明は、誰でもが頷くに違いなかろう。 ○黄河中流 全面黄土の広大な平原地域。水利さえ整えば、膨大な広さの畑ができあがる。従って、気候に合う食糧品種さえ見つかれば、ほぼ自動的に巨大な生産量を実現できそう。文明発祥地としては最良の条件に映る。 ここら辺りは、納得できる。 ところが、これに唐突にもう一つが加わる。・・・との言い草を付け加える人は滅多にいない。小生にしても、そんなことを酒の席以外で語った覚えはない。酔っ払い達は、その場限りで、ソウダソウダと盛り上がるのを常とするが、小生も含めて翌日は前言など皆知らん顔で過ごすのが掟。 ○インダス川流域 当たり前で加える人が多そうだが、ウム〜、となる。それが、何を意味するのかは人それぞれだが、納得感薄しという方もおられるだろう。もちろん、酔っ払い内での話でしかないが。 小生にしてみれば、どのような地かの説明も無しに、上記同様の一大文明発祥地と見なされているといった印象しかない。要するに、「概念」的な文明イメージがさっぱり湧かないのだ。 しかし、モヘンジョダロの素晴らしい遺跡の写真を見せられれば、成る程そんなものかとなり、それ以上考えることはしなくなる。情報が余りに少ないのでなんとも言い難しなのである。 そして、文明は「大河」から、というドグマを頭に叩き込まされる訳である。反論を耳にしたことはないし、それ以外の「進んだ」古代文明が見つかっていない以上、正しい見方として受け入れる以外にすべはなし。 どうしてそう感じるかといえば、「大河」という表現に引っ掛かるものがあるから。・・・ 揚子江(長江)も間違いなく超大河。にもかかわらず、どうして、ここから大文明が生まれないのか気になるではないか。それに、メコン川や、ガンジス川も「大河」としての条件を満たしている可能性もありそうだし。 従って、「大河文明」とは、小生からみれば、えらく胡散臭い概念ということになる。もちろん、そんなことは口が裂けても言わなかった訳だが。 それでも、まあ、そんなものかとなるのは、無理強いさせられる義務教育の「常識」に従っているだけのこと。 冬作物栽培が圧倒的に生産性が高いと見るべしというトンデモ理論をしかたなく認めているだけのこと。実際にどうなのかは、菌や虫の発生もあるからなんとも判定し難いが、自然の摂理から見て、そんなことはあり得ないのでは。 夏の降雨量が多いモンスーン地帯は、大河を利用した大規模灌漑農業の必要性が無く、文明にまで至らないという論理を受け入れしかないというだけのこと。 だがネ、ソリャ、本当か、というのが正直な心情。 そこら辺りの説明がなされぬまま、タダタダ、4大「大河文明」から歴史が始まるといった感じで、丸暗記を強制されるのはつらいものがあった。 もっとも、それは異端者にしか通用しない話かも。 そんな異端的苦痛を味わっていた方々にお勧めしたい本が、ついに出版された。実に喜ばしいこと。 長田俊樹:「インダス文明の謎−古代文明神話を見直す」 [学術選書] 京都大学学術出版会 (2013/10/10) 何故かと言えば、インダス文明は「大河文明」と見なせないことを、実証してくれたからである。インダス文明はなんと、モンスーン型に近いという。モンスーン気候は大陸の東側の筈だから、摩訶不思議だが、栽培植物層分析から見てまず確実と見てよさそう。 しかも、戦乱発生の兆候は見つからなかったというのにも驚かされた。アーリア人のインド亜大陸への侵攻は作り話にすぎないことになるからだ。だが、さもありなんである。 モンスーン気候帯では、荒っぽい、一律統制の中央集権型農耕が向いているとは思えないからである。個別地域毎の分散自律的統治を進める、労働集約型農耕の方が生産性が高い可能性があるということ。このことは、下手に強引な武力支配を進めると、生産性が低下して、虻蜂取らずになることを意味する。モンスーン地帯は、別に和辻哲郎の見方をとらなくても、そうそう大きな戦乱に繋がる因子を抱えてはいないのは明らかでは。 そのことは、大規模支配の必然性が薄いとも言える訳で、膨大な富の蓄積は難しいから文明と呼べる状況にはなかなか進めないのかも。 ・・・と考えていたら、、モンスーン型でも、文明は生まれるという実例を示してくれたのである。これはそれこそコペルニクス的転回かも。 尚、著者の方だが、小生は門外漢なので全くわからないが、専門分野は言語学らしい。間違ってはこまるが、小生にしてみれば、それこそが信頼に足るという情報そのもの。 万葉集研究者である中西進さんの方が、データを独占し、恣意的な分析結果を発表する考古学者の説より、古代の本質を抉りだしているのは間違いないと、偏見100%の目で見ているからだ。 文化論の目次へ>>> HOME>>> |
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