表紙 目次 | 2014.6.27 いなご食についてバッタを大いに食べようなる話を耳にした。好き好きとはいえ、素人へのお勧めは避けて欲しいもの。 小さいイナゴなら丸ごと食べることができるが、サイズがトノサマバッタ級になれば、足や羽が堅すぎる。蝦蟹と同じキチン質だとはいえ、陸上生物なのでかなり丈夫である。綺麗にこれらをとらないと胃腸を傷つけかねないのでは。 それと、虫が何を食べているか気になる。植物アルカロイドの体内濃縮のリスクはないのだろうか。 ヒトは無原則になんでも食べる雑食動物ではなかろう。 長い年月を経て、総合的な視点でよかれと思う食を選んできたから生き残っているのだと思う。もちろん、それは今でも続いている訳で、昆虫食を軽く考えるべきではないと思う。 従って、小生は、昆虫食を絶賛する発想にはついていけない。 そもそも、食べることが可能という話と、食物に適しているという見方の間には大きな溝がある。両者をごちゃごちゃにした食論議は危険だ。 どうしてそうなるかと言えば、「下手物」という言葉に反応する方々が多いからだろう。言うまでもないが、これは文化的な差別観から生まれた概念。 反差別ということでの、「下手物」賛美もわからないでもないが、強引すぎるのでは。 一般に食の好みは、なんでも口に入れてみたくなる習慣が残っている幼児の間の体験で決まると言われている。その後は、余程のことがない限りは、そこで形成された取捨選択原則が貫徹される。但し、社会の一員として生きていくために、文化的な規制や、生活上の損得勘定が重視されるようにはなる。そのため、どこまでが本当の好みなのかはだんだんわからなくなる。 そんな状態で、見慣れぬものを、突然食物として扱うのは無理が過ぎないか。 例えば、昔は、絹生産のために、蚕を大量に飼っていたから、蛹を食材にするのは極めて合理的な発想。そんな時代でなくなれば食から外れて当然ではないか。これを今になって大々的に復活する意味があるとは思えない。 蜂食も同じようなもの。 砂糖が貴重品の時代なら、蜂蜜とは垂涎の眼でみられた食物。蜂の巣の残りモノ活用は極く自然な流れだろう。日本にも、そんな食習慣は広く存在していた可能性は高かろう。しかし、砂糖が入手できるようになれば、その魅力は様変わり。蜂蜜自体は嗜好品的に残るが、残りモノ活用は苦労の割に貢献度は薄いから、廃れておかしくないだろう。 蚕も蜂も、特別な嗜好品というか、好きな人がいるなら高級品として残すのが妥当なところではないか。それが無理なら、消滅するのは致し方あるまい。 イナゴにしても同じようなもの。 左図は有名な寺島良安著「和漢三才図会」掲載のもの。よく見て欲しい。 どう見ても、これはイナゴと言うよりキリギリス。現物を知らないことがわかる。 と言うことは、すでに、この時代、都会ではイナゴはその程度の虫だったことを意味する。稲にとっての大天敵の地位を滑り落ちていたことになる。当然ながら、食材としての興味も失せていただろう。 窮乏期を別にすれば、イナゴの位置付けはその程度だったのである。 しかし、特定の地域では、イナゴ食が廃れることはなかった。それは、信仰との係りからではなかろうか。 そう思うのは、「稲子」ならまだしも、「蝗」という漢字があてられているから。単なる害虫と見なしていたら、こんな字にはなるまい。 稲の刈り取り後に捕獲して食べることに重きがあったのではなく、稲の葉を食べる虫の偉大な王者を食すことで、スピリッツを得たとの気分に浸れたことが大きかったのでは。もちろん、そう感じない人もいたに違いなく、その場合は、左図のような虫の文字で表記することになる。単に稲の害虫の一種という見方。 同様に、甲冑のように堅いキチン質の殻を持つ虫をわざわざ食べるのも、栄養摂取というよりは信仰的なものから来ていると見てよいのでは。王者を食そうということ。 山林が経済生活の中核的場所なら、それは黄金虫だったり、兜虫になろう。野原なら、殿様飛蝗か。 ただ、稲作地域であったからといって、虫の王がイナゴとは限らない。田圃の形態は様々だからだ。その典型がメコン流域のタイ東北部高地だろう。稲作地域にはなるものの、タイ中央部とは気候と地勢が大きく違っている。 ここでの虫の王者は水棲甲虫のタガメである。稲に卵を産む種で、小魚を食べる獰猛さからして、まあ、妥当な見方。香り成分に人気があるとされるので調味料として通用する訳だが、強そうな姿のママで食べることで、その力を得るという感覚があるのではないか。 それを単なる信仰では気分悪しとなれば、虫の薬効が語られることになろう。それは中華式思想である。部族毎の様々な考えを同居させるための工夫ともいえそう。 イナゴもタガメも、要は、田圃を徹底利用する農耕民が生み出した昆虫食文化ということ。そこに本質的な差はない。従って、食文化で見るなら、虫に限るという訳ではない。タイのナマズ食は有名だが、そうなって当たり前。鯰棲息にピッタリの田圃だからにすぎない。もちろん、日本の水田には合わない。 おそらく、タイの魚食対象は、先ずは鯰で、次が鮒・鯉類となろう。どちらも、遠い昔から田圃とその周囲で半養殖が営まれていたと見てよいだろう。鮒・鯉の幼魚を取り込んだに違いないのである。 しかしながら、輸出のために糯米から粳米に転換するような大胆な国であり、魚も御多分にもれずである。今や、経済性が高い移入種の淡水養殖漁業がこれを越えているのである。日本との皇室外交で獲得した魚、テラピアのこと。 当然ながら、こうした田圃の徹底利用の姿勢は水鳥にも及ぶ。それぞれの田圃に合った家禽が選ばれるだけのこと。 環境が変わってくれば食材も変わるだけの話。 蛋白質以外でもそれは見てとれる。藻や空芯菜を食べる食文化も、ここらから来ているのは明らか。アジアのクレソンこと香菜が好まれるのもこの地域では数千年の歴史があると見るべきだろう。 従って、よく耳にする、藻食文化での日本との類似性指摘にはたいした意味が無い。日本の海藻とは、もっぱら塩の旨み用食材であり、こちらの藻食は田圃の食材利用だからだ。 そうそう、この手の話を耳にするとき、冷静に判断しないと間違いかねないので、注意すべき点がある。 よくあるのは、暑い地域なので粗放農耕的ときめつける見方。山岳部や高地になると、隔絶された地だから遅れた技術しか持っていないとのイメージを打ち出しているものも。多分、これらは大間違い。 島嶼の芋作りなど典型だが、手をかけないと収穫は急激に落ちる。従って、品種開発も含め、様々な工夫がなわれたに違いないのだ。他の作物との区分け栽培や、輪作など、高度なスキルを駆使していた筈。残念ながら、今になっては、なにがなにやらだが。 尚、食文化として眺める場合の昆虫食とは、上記なようなものになるが、「芋虫」も食材となるので、これらについても一言。(蛹や卵のこともあるが、類似品と見てよいだろう。) こちらは、系譜が違う。 と言うか、信仰心とは全く無縁。おそらく美味しいから食べるのである。ただ、多量に採れる訳でもなく、乾燥でもさせない限り、保存もしがたいので、嗜好品に近かろう。 蝉、蛾や蝶、糞虫、蠅、等々の芋虫的形態の幼虫とはそういうもの。時間があれば、採取して食べて楽しんだろうし、飢餓に直面すれば真っ先に探索対象となった筈である。ただ、幼虫が餌としているものによっては、危険性もあろうから、かなり用心して選択していると思われる。 つまり、キチン質の殻をつけた昆虫を美味しく食べたいなら、足や羽をもぎ取り、何が含まれているかわからぬ内臓を押し出した上で、中身だけとすべきということ。それでは、とても食の態をなさないとしたら、それは本来的に食に向いていないのである。 (当サイト過去記載) 昆虫食をどう考えるか 2013.9.15 昆虫食キャンペーンで想うこと 2013.5.22 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |