表紙 目次 | 2014.7.6 棚田の見方 (2)棚田ということで、姥捨ての話から始めてしまったが、一般的には世界遺産の話をするのが普通かも知れない。いわゆる千枚田である。もともと日本の棚田の話がマスコミに登場するようになったのは、それが切欠だろうし。 ただ、山の上まで丹念に耕作する凄さということなら、水田に限るものではない。 アンデス高地は余りにも有名だし、オリーブやブドウの畑にしたところで、気候が合う土地なら必ず存在するもの。どんなものだろうが、大規模なら世界遺産になっておかしくなかろう。 穀類にしても、米麦耕作が適さない地域では段々畑での雑穀栽培など当たり前のこと。 従って、千枚田を珍しがるのは段々畑栽培を行ってこなかった小麦圏の人達だけかも。 そんな風に考えると、千枚田も、一枚田も、五十歩百歩という気がしてくる。 だが、そんな想いを一瞬にして吹き飛ばすのは、超大規模棚田の航空写真。全山というか、地域全体が棚田なのだから。 言うまでもないが、フィリピン:ルソン島島北部中央コルディリエーラ山脈東斜面バナウエ渓谷のこと。プロト・マレー系イフガオ族が紀元前1000年〜紀元前100年から始めたものだという。 膨大な数の奴隷の血と汗の結晶と見てよいだろう。 それは、中国雲南省紅河哈尼族彝族自治州紅元陽県の棚田でも同じこと。 絶景と褒め称える人が多いが、現実とはそんなもの。 しかし、インドネシア バリ島のバトゥカウ山麓ジャティルウィ/Jati Luwihの棚田の場合は、様相が異なるようだ。世界遺産といっても、耕作文化ではなく、8〜9世紀頃から運用され続けている水利組合システム/Subakが対象だからだ。 こんなことをくどくど書く理由がおわかりだろうか。 大規模棚田とは、単純に耕地面積拡大を図った代物と言いたいだけのこと。 つまり、棚田自体は、珍しいものでないということ。 と言うより、稲作の基本形なのである。 決して、やむにやまれず山で耕作することになったので、苦労して棚田を作っているということではない。 他部族の圧力に耐えられず、押し出されて山岳部に入ってしまい、棚田をつくったりするので、そこを誤解しがち。 それは、一寸考えればわかること。 稲作が普及したのは、水沈型の栽培から脱したことと、穀粒脱落がなくなったこと。それは、耕作地への水の流入と配水の管理が始まったのと軌を一にしている筈。 しかし、田圃の全面フラット化がすぐにできる訳がない。治水の仕組みが無ければ、作物冠水のリスクに晒されるからだ。当然ながら、段差がある田圃群が最良となる。地形や水流を考えて、細かく区画分けした「棚田」が、稲作の基本形として登場したに違いないのである。 それに適した場所は川の中・上流の盆地。水抜き技術さえあれば、すぐに田圃化可能な土地だらけなのだから。最初の稲作とはそこでの棚田であったと考えるべきだろう。いわば斜面農業である。 そして、次のステップの耕地面積拡大に進むことになるが、別な盆地を探すか、流れに沿って山上へと展開することになろう。中流の広大な平地や、下流のデルタ地帯への進出には、水流コントロールが不可欠で、すぐに可能になる筈がないのである。 このことは、棚田文化には、原初的な稲作の系譜を引き継いでいるものと、稲作技術が成熟してから未利用の斜面耕作を始めたものが混在していることになろう。 前者の典型はネパールか。雲南は後者がほとんどという可能性も。 ネパールは完璧な米食国だし、(全土稲作ということ。) せっかくだから、どんな状況か眺めてみようか。 その国土は東西に帯状に800Kmほど延びており、北部はヒマラヤ山脈のヒトが住むどころの話ではない峰々だが、南のインド側は熱帯低地だ。その幅は200Kmだから、斜面の国土とも言えよう。 現代の地勢では、南に肥沃な平原が広がると言えるが、もともとはここは経済圏どころか僻地扱いだったと思われる。海抜200m程度だし、熱帯ジャングル地帯と考えるべきだろう。その昔は猛獣だらけで、ヒトにとっては開墾は命がけ。未開の地とされていた筈。もちろん最大の脅威は猛獣ではなく、マラリアだが。 文化世界遺産となった"カトマンズ"は高地盆地。都市化が著しいが、稲作最適地からの出発だと思われる。もう一つの大都市のポカラにかけての地勢は、地図をみると山々が連なる丘陵地域。斜面農耕以外有りえない。平均標高は2.000m内外だから、どうやら棚田OKか。それを越えれば、シコク稗/蕎麦栽培の段々畑になるだけ。 少数民族がバラバラと住んでいる雲南に繋がるベトナムの高地もこれと似たような状況に映る。 ─・─ ベトナム北部高山帯3省の棚田地域例 ─・─ ハザン/Ha Giang省 Hoang Su Phi-Nam Ty,Yen Minh ラオカイ/Lao Cai省 Sa Pa,Bac Ha,Bat Xat-Muong Hum ライチョウ/Lai Chau省 僻地イメージが極めて強いが、ディエンビエンフーへの軍事物資輸送路であったに違いなく、その気になればヒトもモノも移動は難しくはないことがわかる。従って、古代の土着民とは限らないことに注意を払う必要があろう。 それがよくわかるのが、前述した雲南の世界遺産「紅河哈尼梯田」である。始まりは8世紀らしい。周囲はどうなのかわからぬが、似たようなものか。 ─・─ 雲南省の代表的梯田 ─・─ 紅河哈尼族彝族自治州紅河哀牢[元陽県]紅河哈尼梯田 玉龍納西族自治県宝山石頭城梯田 金平苗族瑶族傣族自治県瑶族梯田 ─・─ 貴州省の代表的梯田 ─・─ 黔東南苗族侗族自治州 苗族梯田 なかには、元の時代に開拓されたものもある。 広西壮族自治区桂林市龍勝族自治県和平郷 龍背梯田(平安梯田+金坑梯田) 場所的に結構新しいそうな印象を与えるものも。もっとも、標高1000mだから、観光ということでそんな雰囲気になっただけの可能性もあるが。 江西省婺源県 江岭梯田 その一方、2000年前からという湖南省の棚田もある。多民族(苗,瑶,侗,漢,etc.)が関与したというのだが。ひょっとしたら、ここが原点かとおもわせるような風情を醸し出している訳である。そんな取り組み方は中華帝国的ではないから、どこまで本当かわからぬが。 湖南省婁底市新化県水車鎮 紫鵲界梯田 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |