表紙 目次 | 2014.7.17 文語史のススメ「文語」が絶滅危惧種化の道を歩み始めてほば100年だそうだ。換言すれば、言文一致の歴史はせいぜいのところ100年で、現代文になると50年そこそこといったところ。なにせ、少し前までは、読み、書き、習字であり、現代国語という観念は持っていなかったのだから。 魅力的な見方が提起されると、皆が一斉に跳びつき、あっという間に一世風靡の世の中になるというのが日本人の体質とはいえ、1000年以上もの歴史がある言葉をさっさと変えることができるのだから驚異的適応能力といえるかも。 ところがドッコイ、絶滅危惧種は生き残っているそうだ。動物園的な観賞用と思ったらそうではないという。 新刊本の帯書き・・・ 「戦後の国語改革で否定されてきた文語文が なぜ、いまなお人びとの言語生活のなかに 息づいているのか。」 それに対する回答はこの本のタイトルで想像がつく訳だが。 「今なお息づく美しいことば」 と言っても芸術的な美学を思い浮かべてもらってはこまる。もちろん、滅びの美というか、懐かしき郷愁があるのは否定できないが。 とあるマンション管理規約文・・・。 「居住者は理由の如何にかかわらず、 ・・・してはならない。」 「居住者はどんな理由があっても、」とは書かないのである。 ハハハ。 文語は簡素で論理的だから公的文章に欠かせないと考える人が多いのだろう。しかし、本当にそう言えるかはなんとも。ある種の堅苦しさからくる、一種のコンプレックス的情感のなせる現象かも知れぬ。 まあ、言葉とは本質的にそういうものである。 確かに、この本が指摘している通り、お葬式のお経や、結婚式の祝詞を、現代言葉で話されたら面白くない人が多い訳で、日本人は今もって古代の「言霊信仰」から離れることができていないのだ。それを嫌う風情を少しでも見せると、異端と見なされる訳である。だからこその民族的まとまりとも言える。 もっとも、そんなことを言うと、強烈な不快感を示す、頭でっかちの人もいる訳だが。 そういえば、近代文語を習った覚えがない。忘れてしまっただけかも知れぬが。 現代国語と古文の狭間の概念だから、記憶の隅をほじくってもさっぱり出てこないのである。 もっとも、例外はある。高校1年の「地理」の授業のテキスト。(副読本ではない。)志賀重昂「日本風景論」だった。えらく読みにくかったので、忘れようにも忘れようがないのである。(もちろん、読み方の説明がある訳もなく、文章が読めない人は授業に出ても無駄な時間を過ごすことになる。) と言って、今から、近代文語というジャンルを加える必要があるのかはなんとも言い難し。加えるということは、なにかを削る必要があり、そんなことが簡単にできない風土なのだから。 それよりは、言語の歴史を学ぶ方が価値があるのではなかろうか。現代国語、古文、漢文という概念はどういうもので、歴史的にどのような経緯でそう考えるようになったのか位は授業でとりあげてもよさそうに思うが。 例えば、以下のような形で。尚、下記の文体用語は正しいのか全くわからない。(調べる気がないからだが。) <原初> 太安万侶「古事記」 712年・・・「序」こそ、最重要。 謹隨詔旨。子細採採。 然上古之時。言意並朴。敷文構句。於字即難。已因訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長。是以今。或一句之中。交用音訓。或一事之内。全以訓錄。即。辭理叵見以注明。意况易解更非注。亦於姓日下謂玖沙訶。於名帶字謂多羅斯。如此之類。隨本不改。 <漢文> 摩訶般若波羅蜜多心経 觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。 舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。 舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不摯s減。 是故空中。無色。 無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。 無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。 以無所得故。菩提薩埵。 依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。 三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。 故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。 真實不虛。故說般若波羅蜜多咒即說咒曰 揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶般若波羅蜜多心經 <宣命体> 祓詞 はらえことば 掛介麻久母畏伎 伊邪那岐大神 かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ 筑紫乃日向乃 橘小戸乃阿波岐原爾 つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに 御禊祓閉給比志時爾 生里坐世留祓戸乃大神等 みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち 諸乃禍事罪穢 有良牟乎婆 祓閉給比清米給閉登 もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば はらへたまひきよめたまへと 白須事乎聞食世登 恐美恐美母白須 まをすことをきこしめせと かしこみかしこみもまをす <漢文訓読体> 淡海三船編纂「懐風藻」 751年 大友皇子 「侍宴」 宴に侍す 皇明光日月 皇明 日月と光てり 帝徳載天地 帝徳 天地に載みつ 三才並泰昌 三才 ならびに泰昌 万国表臣義 万国 臣義を表す <和文体> 紀貫之「土佐日記」 935年・・・革命的では。 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。 清少納言「枕草子」 996年 春は曙。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。 秋は夕暮。 夕日のさして山端いと近くなりたるに、烏の寝所へ行くとて、 三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。 まして雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。 日入りはてて、風の音、蟲の音など。(いとあはれなり。) 冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。 霜などのいと白きも、またさらでも。 いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、。 炭櫃・火桶の火も、白き灰がちになりぬるは わろし。 <和漢混交体> 今昔物語集 1120年代 秦ノ始皇ノ時、天竺従リ利房等渡レル語第一 今昔、震旦ノ秦ノ代ニ、始皇ト云フ国王在ケリ。 智リ賢ク心武クシテ世ヲ政ケレバ、国ノ内ニ随ハヌ者無シ。 少シモ我ガ心ニ違フ者ヲバ、其ノ頸ヲ取リ、 足・手ヲ切ル。 然レバ、皆人、風ニ靡ク草ノ如キ也。 平家物語 1200年代 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ <明治文語> 福沢諭吉「学問のすすめ」 1872年(明治5年) 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。 されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、 生まれながら貴賤上下の差別なく、 万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、 もって衣食住の用を達し、自由自在、 互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、 かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、 貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。 森鴎外「舞姫」 1890年(明治23年) 我學問は荒みぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。 そをいかにといふに、凡そ民間學の流布したることは、 歐洲諸國の間にて獨逸に若くはなからん。 幾百種の新聞雜誌に散見する議論には頗る高尚なるも多きを、 余は通信員となりし日より、曾て大學に繁く通ひし折、 養ひ得たる一隻の眼孔もて、讀みては又讀み、寫しては又寫す程に、 今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自ら綜括的になりて、 同郷の留學生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。 彼等の仲間には獨逸新聞の社説をだに善くはえ讀まぬがあるに。 <候文語> 正岡子規「歌よみに與ふる書」 1898年(明治31年) 仰の如く近來和歌は一向に振ひ不申候。 正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申候。 實朝といふ人は三十にも足らでいざ是からといふ處にて あへなき最期を遂げられ誠に殘念致し候。 あの人をして今十年も活かして置いたなら どんなに名歌を澤山殘したかも知れ不申候。 兎に角に第一流の歌人と存候。 <文語・口語混交文> 尾崎紅葉 「金色夜叉」 1897年(明治30年) 宮は牀几に倚よりて、半は聴き、半は思ひつつ、 膝に散来る葩を拾ひては、おのれの唇に代へて連に咬砕きぬ。 鶯の声の絶間を流の音は咽びて止まず。 宮は何心無く面を挙るとともに稍隔てたる木の間隠に男の漫行する姿を認めたり。 彼は忽ち眼を着けて、木立は垣の如く、花は幕の如くに遮る隙を縫ひつつ、 姑くその影を逐ひたりしが、遂に誰をや見出しけん。慌忙く母親にささやけり。 彼は急に牀几を離れて五六歩進行きしが、彼方よりも見付けて、逸早く呼びぬ。 「其処に御出でしたか」 その声は静なる林を動して響きぬ。 宮は聞くと斉く、恐れたる風情にて牀几の端に竦りつ。 「はい、唯今し方参つたばかりでございます。好くお出掛でございましたこと」 母はかく挨拶しつつ彼を迎へて立てり。 宮は其方を見向きもやらで、彼の急足に近く音を聞けり。 <言文一致> 二葉亭四迷「余が言文一致の由來」 1906年(明治39年) 日本語にならぬ漢語は、すべて使はないといふのが自分の規則であつた。日本語でも、侍る的のものは已に一生涯の役目を終つたものであるから使はない。どこまでも今の言葉を使つて、自然の發達に任せ、やがて花の咲き、實の結ぶのを待つとする。支那文や和文を強ひてこね合せようとするのは無駄である、人間の私意でどうなるもんかといふ考であつたから、さあ馬鹿な苦しみをやつた。 <平成ラップ文> ウサギ美味しヵ-。 「野山」〜。 古ブナ(の木)、釣り、鹿の皮! (本) 三浦勝也:「近代日本語と文語文 今なお息づく美しいことば」 勉誠出版 2014.6.20 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |