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2014.7.31

「ちゃ」と「ティー」の話

世界でお茶の呼び方は広東語系のChaと、福建語系のTeがあり、前者は陸路、後者は海路で西に伝わったという有名な話がある。
 【広東】 Cha
 【福建】 tey or te
大きくみればその通りなのだろうが、少々細かく見ると、色々な情景が見えてくる。

先ず、日本だが、「ちゃ」が緑茶で、「ティー」が、欧州文化を取り入れた醗酵茶の紅茶である。前者にウエイトがあるが、両者同時に通用するという、まことに見事な国である。
お隣の朝鮮半島は、語学的にはchaだが、茶は飲まない。茶葉を使わない飲み物をchaと称す。日本で言えば、麦茶のような類に当たる。

茶の栽培ができない気候だった上に、中国輸入品は高価で手に余ったということだろうが、仏教弾圧時に文化的に徹底排除したということ。
世界を見回しても、そのような姿勢を見せるのは戒律で自らの生活を縛る信仰者だけではないか。現代でも、おそらくモルモン教徒は避けている筈だし、同様に、かつてはイスラム圏でコーヒーがよくないとされていたことがあったように聞く。
朝鮮半島は中国渡来の氏族祭祀宗教の儒教一色だっただけなのにもかかわらず、茶を止めたのである。実にファナティックな人達である。

日本は、中国型大乗仏教を導入して国教化したので、それと一緒に入ってきたようである。と言っても、初期の仏教ではなく、禅宗の普及と軌を一にして浸透したとされる。国家鎮護宗教から、個人の信仰へと変わる際に、茶が果たした役割は大きかったと推測される。
その結果、「道」として様式化され、「研鑽芸」にまで高められた訳だ。
もっとも、その基底にある思想は仏教というより、中国南部の信仰、道教の色が濃いと見るべきらしい。
  江静呉玲(浙江工商大学):「『喫茶養生記』に見られる道教響」

その、中国本土だが、儀式的な茶を好んだり、茶館にたむろする輩は、反革命分子とされ、茶文化は徹底的に潰されてしまった。しかし、毛沢東は、皇帝用の特別栽培岩茶を好んだようだから、高品質の茶葉生産停止にまでは至らなかったようだ。その後、観光用茶館が復活していそうだが、表面的な真似事でしかあるまい。失われた文化は戻らない。まことに残念至極。
しかし、台湾には、そうした文化が今もって残っているかも。
但し、こちらは福建とつながりが濃い上に、阿蘭陀 v.s. 葡萄牙の時代にはオランダの植民地扱いだったから、言語上はTe系統になる。
これでおわかりだと思うが、ポルトガルは古い欧州でありながらTe圏には属さない。
 【ポルトガル】 cha

茶葉は、陸路で西に伝わって行ったが、葉がそのままでは流通・保管上問題がでるので、もっぱら、蒸して圧縮コンパクト化した「磚茶」が使われたようである。
台湾や日本だと、栽培品を自国で調達できるから、その手のものは嫌われ、熱処理しただけで、形状は茶葉のママ。一方、中国から輸入するしかなかった西域や西蔵はそれは無理だった訳である。日本の「抹茶」のように加工したりすれば、なにか手がありそうな気もするが、風土的に「磚茶」の形状の方がかえってよかったようである。
そこは遊牧が盛んな地であり、もともとミルク食だから、本来は茶が入る余地は考えにくかったが、大乗仏教の信仰者の重要な飲み物とされたため、ミルクと合体するのに都合がよかったのである。
 【モンゴル】 chai スーテーツァイ[乳茶]
 【チベット】 チャタン[黒茶]・スーチャ[撹拌茶=バター茶]

インドへは、大乗仏教のチベットから、かすかに残っていた上座部仏教ルートで伝わった可能性もありそうだが、宗派が違えば無理か。
常識的には、英領インド化して紅茶が入ったということになっているが、Te系統ではないから、それ以前に入ってはいたことになるが、どのように繋がっているのだろうか。
 【ネパール】 チャ
 【ベンガル】 Cā
 【ヒンディ】 Cāya
 【ウルドゥ】 cāy
 【パンジャビ】 チャー
 【パシュトゥー】 チャー
尚、よくわからぬものもある。まさかカフェということでもないと思うが。
 【カンナダ】 [インド南部] Cahā
ともあれ、イギリスの植民地化政策で、アッサム辺りで、茶のモノカルチャー化が始まり、ミルクをふんだんに入れたマサラティーが定着するようになったのは確か。しかし、それ以前は、それほど茶に人気があった訳ではなかろう。なんとはなしにイギリス植民地化で上流階層が生活習慣に取り入れたような雰囲気を感じるからだ。カースト社会であり、下層は茶にそれほど関心を持っていない可能性もあるのではないか。素人の勝手な推測に過ぎぬが。

インド関連ということでは、アフリカ東海岸も繋がっているのかも。
アフリカは欧州の植民地化で茶が入ったということだからCha圏は無いと思っていたら、それは間違い。と言うことは、それ以前にインドからの直接伝来では。・・・
 【スワヒリ】 [東アフリカ沿岸] chai

一方、大乗仏教伝達ということで、ベトナムにも同じように茶が伝わったに違いない。残念ながら、その状況は情報が見つからないのでわからずじまい。ベトナム語は中国語音が多いから、Cha圏であってもよさそうに思うが、南方中国文化を通じてとなるとそうはいかぬ。
 【南方中国】 ta
まあ、ここは茶圏というよりは、フランス植民地化の後ろはもっぱらコーヒー圏としてのイメージが強い。それに、今や世界の大産地でもあるから、茶の影は薄そう。
しかしながら、中国から渡来した茶様式が、上流階級の人々によってベトナム流に洗練された筈である。それがまだ残っている気がしないでもない。中華思想に染まっていなければ、以前の文化を根絶やしにするようなことはないと見るからだが。
 【ベトナム】 trà or チェ

さて、続いては西域だが、ここかはイスラムの世界主体なので、様相は変わるが、Cha圏である。カザフスタン辺りは、食事時に極めて多量にバター茶を飲むので有名であり、生活上の必須品と化していそう。
イスラム圏はアルコールご法度の地域も少なくないから、仏教色さえなければ、茶は無くてはならないものになり易いのだろう。
 【ウイグル】 chay
 【カザフ】 şay
 【ペルシア】 chay
 【アラビア】 shay
 【トルコ】 çay

アラビア語ということで、中東とは記載していないが、アラブはアラビア珈琲の世界との印象も。(コーヒールンバのイメージが強いこともあるが。)そうだとすると、茶はマイナーかも。しかし、聞くところによると、お金持ちのサウジアラビアでは、英国とのつながりなのか、紅茶の方が好まれているという話もあり、間違いかも。ティーバッグは安価簡単便利だから、アラブ全域で考えると、コーヒーより紅茶となる素地はあろう。

まあ、英国にしてから、セイロンのコーヒーモノカルチャー大失敗で茶に変えたらしいし、オランダも茶貿易が上手くいかなくなったのでコーヒーに変えた結果が、嗜好性変化に繋がっているのだから、どうという話でもないが。

欧州の話になってきたから、ロシアをとりあげよう。欧州国家とされるが、ご想像がつくように、Te圏ではない。中央アジアのスタン系の国々を通じて入ってきたのだろう。
まあ、ロシア料理店の紅茶を飲めばわかろうというもの。おそらく、紅茶は西欧のティーの形式に合わせたもの。貴族の外交上そうならざるを得ない。
しかし、ご存知のように、ジャムをドサッと入れる。つまり、矢鱈に濃く甘いのだ。このことは、もともとは磚茶に砂糖どっぷりのイスラム圏の習慣の名残とは言えまいか。煮出し茶の味覚恋しさ。
 【露】 chay
 【ウクライナ】 chay

一方、トルコはチュルク系の親分のようなものだから、スタン系と一帯化してもよさそうに思うが、茶よりコーヒーの風土のようだ。東のイスラムから茶が入ったのではなく、スラブ系がバルカン半島に茶を持ち込んで、そこから東方正教会ルートで広がったということではなだろうか。クロアチアなど、バチカンの勢力が圧倒的だと思うが、Te圏でないのが印象的だから。おわかりかなこの感覚。
 【ルーマニア】 ceai
 【チェコ】 čaj
 【スロバキア】 čaj
 【ブルガリア】 chai
 【アルバニア】 çaj
 【ギリシャ】 tsái
 【マケドニア】 čaJ
 【セルビア】 čaj
 【クロアチア】 čaj
 【アゼルバイジャン】 çay
 【ベラルーシ】 čaj
 【アルメニア】 t'yey

このように茶の渡来ルートを想像してみたのだが、難しいのが、東南アジアの大陸側。
雲貴高原という文化の十字路があったから、どうなっているか気になるではないか。
うーむ。
ラオスとタイが同じCha圏なら納得だが、そうではない。ビルマは、インドアッサム辺りやチベットから文化が伝わったということもなかったようなのだ。
正直のところ、よくわからぬ。情報が少なく、間違っているかも知れないが。
 【クメール】 タック・タェ
 【ラオス】 sa
 【タイ】 Chā
 【ミャンマー】 ラペッイェ

それでは、欧州のTe圏に移るか。

これは良く知られるように、中国から海路で西欧にということで、世界に広がった訳である。
植民地時代の名残と見てよかろう。

中国から西欧とされているが、茶文化が流行ったのは、日本の貢献もすくなからぬものがあったと見る。おそらく、茶道なるものの存在を知って驚いたに違いないのである。植民地思想の底流には、文化レベルが低い未開の人々が住む地域を「解放」するという宗教観がある訳で、その前提を覆す事実を知って驚愕したに違いないからだ。
従って、茶を争うようにして飲みたくなったと見る。別に、なんらかのネタがある訳ではなく、今でも米国などティー・パーティの息吹を忘れるなという調子だから、茶は思想的な象徴として入ったのではないかとの想像に過ぎぬが。・・・「ちゃ」と呼ばれることはなかったようだから、見方として外れているか。

欧州は前述したポルトガルを除けば全面的Te圏、と言いたいところだが、例外もあるのであげておこう。非茶葉飲料の呼び名からきているのかも知れぬが。
 【リトアニア】 arbata
 【ポーランド】 herbata
一応、ずらりと並べておこうか。
 【英】 Tea
  欧州ではないが、【ハイチ-クレオール】 Tea
 【ウエールズ】 Te
 【アイルランド】 Tae
 【蘭】 thee
 【仏】 thé
 【伊】 tè
 【ラテン】 tea
 【西】 té
 【カタロニア】 te
 【ガリシア】 té
 【バスク】 Tea
 【マルタ】 Te
 【独】 Tee
 【ハンガリー】 tea

 【アイスランド】 Te
 【スウェーデン】 te
 【フィンランド】 tee
 【ノルウェー】 te
 【デンマーク】 te
 【スロベニア】 Tea
 【ラトビア】 tēja
 【エストニア】 tee
あと、忘れてならないのが、飛び地的な場所にも残っていること。国名そのものが、いかにも聖人といった感じで、周囲とは相容れそうにない印象。だからこそ生き残れたと言える訳だが。
 【グルジア】 t'ea

もちろん、海路欧州に行き着く手前の、アジアの島嶼もTe圏である。
 【タガログ】 tsaa
 【セブアノ】 tsaa
 【イロカノ】 tsaa
 【インドネシア】 teh
 【バリ】 テェ
 【マレー】 teh
 【ドラビダ】 tey
 【テルグ】 [インド南東部] Tī
 【グジャラト】 [インド西部] Tī
 【タミル】 Tēyilai
 【シンハラ】 テー (スリランカ一帯でthey)

以上、単に、「茶」という単語を、ChaTeという言語系列で眺めてみただけだが、世界の流れが結構わかるものである。単なる飲料ではないからだろう。
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