表紙 目次 | 2014.9.8 ヒンドゥー教と日本教の違いヒンドゥー教は多神教。もちろん印度土着の神々だが、釈尊の地なので、仏教を通じて日本に渡来した神も少なくない。なかには、現在も信仰対象となっている神も。従って、日印間には紐帯があり、日本人には馴染みやすい宗教との意見があるようだ。 インドとの友好関係構築は大賛成だが、恣意的な解説は止めて欲しいもの。 と言うのは、小生は、両者の信仰姿勢は似ていないと見ているから。 第一にあげておくべきは、ヒンドゥー教を民族固有宗教と見なす勘違い。 日本の信仰の場合、習合を旨とする上に、信者にもその教義がわからないから、「日本教」と見なされても致し方ない。世界宗教にはなれない。 しかし、ヒンドゥー教には、しっかりとした思想的裏付けがあるし、書物が存在する。 キリスト教、イスラム教、仏教の影にかくれてしまったから、一見、世界宗教ではないかのような印象を与えるが、そんなことはない。バリ島はヒンドゥー教徒だらけであるし、インドシナ半島にある遺跡はどう見てもヒンドゥー教がらみ。「インド教」という訳ではない。 第二に、宗教観の違いを無視して、なんでもかんでも「多神教」として一緒くたにする姿勢。「日本教」の癖であるが、これはまずい。仏教も「多神教」と言えないこともない訳だし。 ヒンドゥー教は確かに多神教だが、一個人でみれば、普通は最高神が決まっている筈。信仰とはそういうもの。 ただ、この場合重要なのは、集団で統一して尊崇対象を決めることがないという点。あくまでも、個人の信仰なのだ。 日本ではすべての神々が並列に並び、一神教の神々もそこに同居することも可能。根本思想が異なると見るしかなかろう。 第三は、これに絡むわけだが、他宗派に「寛容」であるとの主張。 多神教だから「寛容」だというのだが、曖昧な理屈。 そもそも、日本での信仰の「寛容」さとは、経典がないからルールがはっきりしないというだけの話では。つまり、信仰と風習の差をはっきりさせない点を、勝手に「寛容」と解釈しているにすぎまい。 日本社会に於ける集団帰属圧力が強いことは、皆。認めているのだから、「寛容」を旨としている社会とは言い難かろう。 そういう点では、ヒンドゥー教は原理的には「寛容」と言えるかも知れぬ。いわば、「日本教」の裏返しで、他人の信仰に「無関心」ということ。但し、自分の生活に他人の信仰がかかわってくれば、俄然、「関心」が高まる訳で、緊張関係が生まれてもおかしくない。 しかし、似ている点もある。 「寛容」という観点で見れば、確かに、類似の点はある。それは多神教という観点ではなく、布教活動を積極的に行う気がないという点。 世界宗教は、普通は、布教専門家を生むことになり、出かけていって異教徒折伏が始まる。当然ながら、軋轢を生むのだが、そうした摩擦をできれば避けようとする姿勢は似ていそう。 「日本教」の場合は、異教をできる限り並列的に扱うことで難を避けようとする。 一方、ヒンドゥー教は階級制度が組み込まれているので、上層に大きな影響がなければ放置だろう。個人型宗教だから、知らん顔できるのだ。 しかしながら、印パ紛争のように、ヒンドゥー教とイスラム教の間には、熾烈な対立感情が存在している。これを一神教v.s.多神教と見るべきではないと思う。 そもそも、両者はながらく同居していたからである。つまり、カースト下層がヒンドゥー教からイスラム教に改宗したということ。だが、革命運動でも始まらない限り、それは黙認。 つまり、社会構造不安定化につながりそうもないなら、カースト上層は異教浸透を気にしていなかったのである。しつこいが、繰り返すがヒンドゥー教は個人型宗教だからである。 ここで注目すべきは、一神教のイスラム教がヒンドゥー教一色の世界に、大混乱もなく浸透した点。 つまり、ヒンドゥー教のそういった体質に合った形での布教が行われたということである。おそらく、カースト下層を対象として、「超人的な行者」に映るような布教者が大勢入ったということだろう。日本でいえば、「超能力者」あるいは「聖者」の僧侶に当たる人達ではなかろうか。 そうそう、イスラム教国の時代もあった訳で、そのことでヒンドゥー教徒が改宗させられたこともなかった訳だ。ヒンドゥー教は出自が信仰を保証する宗教でもあるから、とりつくしまもないということだったのだろう。 英国の植民地支配と同じで、数的には圧倒的少数だが支配者として君臨することになれば、カースト上層をコントロールする政治体制を敷く以外に手はないから、「寛容」だった訳である。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |